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静岡地方裁判所浜松支部 昭和52年(ヨ)169号 決定

静岡県浜名郡舞阪町舞阪一六八三番地

債権者 大河原順作

〈ほか九六名〉

右債権者ら訴訟代理人弁護士 西山正雄

同 市川勝

静岡県浜松市元城町三八ノ二

債務者 浜松市

右代表者市長 平山博三

右訴訟代理人弁護士 白石信明

同 堀家嘉郎

同 松崎勝

主文

一、債権者らの本件申請を却下する。

二、申請費用は債権者らの負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一、債権者ら

1、債務者は別紙土地目録記載の土地上に別紙西遠広域都市計画汚物処理場図面(一)ないし(三)に表示されたし尿処理場を建設してはならない。

2、申請費用は債務者の負担とする。

二、債務者

主文同旨

第二当事者の主張

一、債権者らの主張(申請の理由)

(一)  (債務者)

債務者は、浜松市西部住民のし尿処理をなす目的で、二級河川伊左地川の北岸に位置する別紙土地目録記載の土地に、浜松市西部衛生工場の名称をもって別紙西遠広域都市計画汚物処理場図面(一)~(三)記載のようなし尿処理場(以下「本件処理場」という)を建設することを計画し、すでに用地買収をすませ近く建設工事に着工する予定である。

(二)  (債権者)

債権者らはいずれも、右伊左地川が流入する浜名湖に各種漁業権を有する浜名漁業協同組合(以下浜名漁協という)の組合員であって、伊左地川の川尻にある通称庄内湾(浜名湖の一部)及びその沖合の浜名湖においてカキの養殖業を営む漁民である。

(三)  (本件処理場放流水の水質)

本件処理場の予定し尿処理量は一日四〇〇キロリットルであるところ、債務者はその放流水について当初はBOD(生物学的酸素要求量)五ppm、その負荷量一日四〇キログラム、T―N(全窒素)濃度六〇ppm、その負荷量一日四八〇キログラム、P(リン)濃度〇・三三ppm、その負荷量一日二・七キログラムとしていたが、その後の昭和五二年一二月一三日に請負業者と締結した本件処理場の設計変更契約によれば正常運転の条件付で、BOD五ppm、その負荷量一日三二キログラム、全窒素濃度一〇ppm、その負荷量一日六四キログラム、リンサン(PO4)濃度一ppm、その負荷量一日六・四キログラム(いずれの数値も最大値)であるという。しかし次の(1)ないし(4)の事実に照らせば変更契約後の数値はもちろん当初の数値の保持も信用できないものである。

(1) 熊本地方裁判所の昭和五〇年二月二七日仮処分判決(同地裁昭和四六年(ヨ)第一七四号し尿処理施設工事禁止の仮処分申請事件)によれば、「申請外久保田鉄工株式会社(以下「久保田鉄工」という)がこれまで各地で建設した少なくとも五ヶ所のし尿処理施設では処理日数不足による処理不充分な生し尿の放流、余剰汚泥の海洋投棄、活性汚泥の死及び過剰希釈等の弊害、放流水の検査体制の不備などの点が認められ、これらの施設と設計製造者、構造を同じくする本件施設もとうてい設計どおりの運転がなされるとはいいがたい」旨判示されているが、右の理は本件処理場についても同じである。

もとより本件処理場は右の各し尿処理場とは構造を異にするものではあるが、同方式のもの五ヶ所以上を設置しながら尚満足な運転ができない程度の技術しか有しない同社が債務者主張のような我国初めての高級処理場をつくったり(なお本件処理場のフローシートにより稼動しているし尿処理工場は日本には存在せず、同フローシートは机上のものにすぎない)、その排水について予定の数値を守ることは絶対にあり得ない。

(2) また債務者は団地建設等のため財団法人浜松市建設公社を設立し、その理事長には債務者代表者市長が就任しているが、同公社が造成分譲した瞳ヶ丘団地のし尿処理につき申請外栗田水処理管理株式会社にその管理を委託していたところ、同社は処理施設の運転開始以来一度も汚泥の引き抜きを行なわずに汚泥をたれ流して引き抜き費用をただ取りしていたが、同公社は右事実を黙過し、浜松市議会議員有志の公開質問状によりはじめて同社に対し不当利得の返還をさせるに至った。

同公社と債務者とは別個の人格とはいえ、同公社は債務者の外郭団体で代表者も同じであり、従って債務者は同公社を十分監督できる立場にありながら右のような不祥事を放置していたことからして、債務者が本件処理場を適正・安全に運転することは到底期待できない。

(3) 現在浜名湖に放流水を流入させている細江し尿工場及び浜名湖競艇場処理施設においても、建設前は飲用に適する程度の高度処理をなすので漁業に被害を与えることはないとの説明がなされたが、現に処理場が稼動すると、細江は漁場としての価値を失い、競艇場周辺は黒のりの好漁場であったのが一枚も取れなくなってしまった。

(4) 設計変更により全窒素の排出量は一日四八〇キログラムから六四キログラムに減少するとされているが、本件処理場の建設を設計施工する久保田鉄工は変更前の処理施設に関し、昭和五二年二月ころは、同施設は我国で初めてのもので、同社の最高水準のものであり、放流水の水質をこれ以上引下げることは不可能である旨自認していたものである。それがわずか一〇ヶ月の間に技術改良により全窒素の排出量を七・五分の一にすることができたなどとは到底信用できない。

従って本件処理場の放流水には債務者が説明するよりも多量の排出物が含有される高度の蓋然性がある。

(四)  (庄内湾の特性と現状及び本件処理場放流水による影響)

浜名湖は強度の内湾性を有する湖(但し、河川法上は二級河川都田川の流域、漁業関係法上は海面)であって、湖水の循環は少なく、一旦流入した汚水は容易に外洋に流出せず長く停滞する性質を有している。本件処理場の放流水が流入する庄内湾はことに奥深く水の移動が少なくて(浜名湖と外洋との年間湖水置換率は一二・三%であり、単純に計算しても湖水の入れ換えには八年有余かかるうえ、庄内湾と浜名湖本湖の湖水が入れ換わるのにも湾奥部で二年、中部で三月を要する)、沿岸の団地造成に基づく生活排水の増加により今日すでに過栄養状態にあり、赤潮が発生したり、汚染指標生物として知られるホトトギスガイ・カサネカンザシ等が増加したりしている。特に夏期は酸素が不足するため湾内ではカキ養殖ができず庄内湾沖合において養殖をなし、冬期に湾内で育成する(これを「身入れ」ともいう)という移動養殖を行なっているが、湾内での身入れ期間も年々短くなっている現状にある。また庄内湾など湖心部周辺漁場では底層水はしばしば底質悪化により無酸素状態となっているところ、季節による表層水と底層水の温度変化により水塊(成層)逆転現象が起これば底層の無酸素水が表層に上昇する。この無酸素水がカキ養殖棚をとりまけばカキは斃死してしまう。

また生活排水の増加に伴う湖水の淡水化によっても、それまでのり、カキの養殖に利用してきた漁場がせばめられたり転移を余儀なくされたりしている。

これらの被害のためカキ養殖業者数は年々減少している。

従って、カキ養殖漁業において最も問題になるのは庄内湾の窒素汚染及び淡水化である。窒素についてはその処理技術は充分確立していない現状にあるうえ、仮に債務者のいう当初の窒素処理が可能であるとしても一日四八〇キログラムの窒素が伊左地川を経て庄内湾に流入することになる。現在の伊左地川の窒素負荷量は一日五四・六キログラムであるから約一〇倍の窒素が庄内湾に流入することとなり、現在でも危険な状態にある庄内湾の水質は、極度に悪化し近い将来同湾が死の海となることは明白である。

また淡水化についても、本件処理場から大量の希釈水が放流されることにより、慢性的かつ長期にわたり庄内湾の環境が強制的に改悪され、カキ養殖が不可能にされることは明白である。

なお、浜名漁協は従前より漁場環境保全を目的として、浜名湖岸域で排水を排出する事業主と排水の水質基準協定を結んでいるところ、その基準はPH六・〇~八・五、透視度三〇センチメートル以上、BOD五ppm以下、COD(化学的酸素要求量)三ppm以下、SS(浮遊物質)濃度三ppm以下、NH―N(アンモニア性窒素)濃度一ppm以下、Cl2(塩分濃度)〇・〇二ppm以下であるが、本件処理場の放流水はCOD、SS濃度、NH4―N濃度において右基準値を越えており、この点からも右放流水を容認することはできない。

(五)  (本件処理場の建設場所について)

債務者は、現在東部衛生工場(天龍川を経て遠州灘に排水)と中部浄化センター(馬込川を経て遠州灘に排水)の二つのし尿処理施設を有しているところ、同処理施設は拡張の余地を充分残している。しかも遠州灘は浪荒き外洋であり本件程度の排水によって過栄養化するおそれはない。

ところで、自らし尿を排出した市民においては当該し尿処理上発生する被害をある程度受忍すべき義務を有することは当然であるが、隣接市町村の住民である債権者らがその被害を受忍すべき義務は全くない。従って、債務者はまず右の各し尿処理場を拡張するなり、債務者の行政区域内で外洋に面している海岸附近にし尿処理工場を新設するなりすべきである。

(六)  (受忍限度超過)

また、債権者らは、これまでにも湖東団地、瞳ヶ丘団地造成による大量の下水流入、三方原、佐鳴台乱開発による新川汚水増大と新川浚渫による一部漁場の放棄、前記細江及び浜名湖競艇場の各し尿処理施設からの排水等に基づく汚濁による被害大雨に基づく海水の淡水化による被害等を蒙むっており、その被害はもはや受忍限度に近く、このうえ本件処理場の放流水による汚濁、淡水化が加わればカキ養殖はほとんど不可能となり、債権者らの公害に対する受忍限度をはるかに超えることは明白である。

(七)  (債務者との交渉の経過)

そこで債権者らは債務者に対し再三計画の変更を陳情したが、債務者はこれを黙殺して、建設に賛成する浜名漁協の役員のみと接触している。

なお浜名漁協は昭和五二年一一月七日、臨時総代会を開いて本件処理場建設問題を協議して採決した結果、本件処理場の放流水を浜名湖に流入させることに絶対反対の議決をした。

しかるに、債務者は、昭和五二年一二月一五日、静岡県都市計画地方審議会において本件処理場建設計画が認可されるや直ちに建設工事に着工すると伝えられている。

(八)  (被保全権利の存在及び保全の必要性)

本件処理場の放流水から生じる債権者らの被害は一過性のものではないうえ、単に金銭的損害賠償によってつぐなわれる性質のものではなく債権者らが漁民として生存することをあやうくする危険が極めて大きいものである。また本件処理場はその性質上、一旦建設された後は被害が生じても操業廃止、建物移転がなされる可能性はない。

従って本案訴訟によっていたのでは本件処理場の建設工事が行なわれてしまい、債権者らの生存権、人格権、又は漁業権ないし漁業権行使権に対する前記のような侵害の予防もしくは排除を求めることが不可能もしくは著しく困難となることが明らかであるから、債権者らは右の各権利に基づく差止請求権によって本件処理場建設を差止めるとの仮処分を求める。

なお被保全権利について付言するに、浜名漁協の各種漁業権の管理権能は同漁協が有しているが、その収益権、例えばカキ養殖の区画漁業権の収益権は、債権者らカキ養殖業を営む組合員全員の総有に属する。即ち、債権者らは右区画漁業権の実質的権利者、少なくとも分有者である。また債権者らは漁業法八条、浜名漁業協同組合区画漁業権行使規則第二条(1)に規定する第一種区画漁業権に関する漁業を営む資格を有している者で、漁業法八条にいう漁業を営む権利を有する者であるところ、同権利は漁業権とは別の独立した物権的権利である。

従って、債権者らは右の漁業権の使用収益権又は漁業を営む権利をも被保全権利とするものである。

二、債権者らの主張に対する認否

(一)  申請の理由第(一)項は認める。

(二)  同第(二)項中、浜名漁協が漁業権を有することは認める。

(三)  同第(三)項前文中、処理予定量及び設計変更前の施設の排出物の各濃度は認めるが、その余は否認する。

同(1)の事実中、本件処理工場のフローシートにより稼動している処理工場が日本に存在しないとの点は争う。青森市、松江市で類似の施設が、岡崎市、総社市で同型の施設が稼動中である。同(3)の事実中、細江し尿工場及び浜名湖競艇場処理施設が存在することは認めるが、その余は争う。

(四)  同第(四)項の事実中、浜名湖の地形、債権者らがカキの移動養殖を行なっていること、伊左地川の現在の窒素負荷量が債権者ら主張の数値であることは認めるが、その余は争う。

なお、浜名湖浅海漁場開発事業の一環として湖水入れ換えのための澪が作られた結果、現在では年間湖水置換率は約二〇%となり、湖水は五年で入れ換わるようになった。

また、カキの移動養殖は、浜名湖の南部と北部の水温の差等の環境の違いを利用してカキの生育を促すために古くから行なわれている漁法であり、水質汚染とは関係がない。

(五)  同第(五)項の前段の事実中、債務者所有の既存施設に拡張の余地があるとの点は否認するが、その余は認める。同後段の事実中、債権者らが債務者の市民でないことは認めるが、その余は争う。

(六)  第(六)項の事実及び主張は否認ないし争う。

(七)  第(七)項の事実中、債務者が浜名漁協役員と交渉したことは認めるが、その余は否認し、同項の主張は争う。

なお、本件処理場建設後、万一債権者らが主張するような被害が生じた場合は、施設の使用禁止を求める仮処分により容易に被害を免れ得るのであるから、不確実な将来の被害を根拠に建設差止を求めることは失当である。

(八)  同第(八)項の事実は認める。但し、浜名漁協を通じて債権者らとの交渉は継続する所存である。

(九)  同第(九)項の主張は争う。

三、債務者の主張

(一)  (債務者のし尿処理の現状、及び本件処理場建設の必要性)

(1) 債務者のし尿処理の現況は、家庭用排水とともに公共下水道を通じて終末処理場である中部浄化センターに集められ、そこで浄化されたうえで馬込川に放流されるもの(一日平均約一〇九キロリットル、人口約八万五六〇〇人分)と、いまだ公共下水道がないため各家庭より汲み取って、処理施設である東部衛生工場及び中部浄化センターに搬入し、そこで浄化したうえ天龍川、馬込川に放流されるもの(一日平均約五〇〇キロリットル、人口約三八万五〇〇〇人分)とに大別される。

(2) 東部衛生工場は昭和四五年一一月から稼動したもので、公称処理能力は一日二〇〇キロリットルであるが現在は一日平均約一六二キロリットルの生し尿を処理している。

中部浄化センターは三系列の施設を有しており、その内二系列は下水の汚泥処理用で、その処理能力は各一日平均約二八三立方メートルであり、残る一系列はし尿処理用でその処理能力は一日二〇〇キロリットルである。

しかし、現在は下水汚泥処理系列に余力があるため同系列でも、し尿処理を行っており、そのため下水汚泥処理一日平均約四〇〇立方メートル(下水汚泥とは下水道に流入する生活廃水、事業排水、雨水、し尿等から要処理物として分離された物質)、生し尿一日平均約三三七キロリットルを処理している。

(3) 債務者の人口は昭和五二年度約四八万二〇〇〇人であるが、過去の人口増加率から推計すると昭和五五年には約五二万四〇〇〇人となる見込みであり、右人口増加の結果、同年度における債務者において処理を要するし尿は一日平均約六八二キロリットルと推定される。

ところで右人口増加及び公共下水道の拡充に伴い、現在一日平均約三九〇立方メートルである下水汚泥は昭和五五年には同約四五〇立方メートル(下水中に約一三六キロリットルのし尿を含む)、昭和五八年には同約五八〇立方メートル、昭和六〇年には同約六六九立方メートルに増加するものと推定され、現在の中部浄化センターの処理能力(一日当り五六六立方メートル)を超えることとなる。そこで早急に施設を拡充する必要に迫られているところ、偶々同センターのし尿処理用の一系列は既に一〇年の耐用年数を超え老朽化が甚しいので、債務者は右一系列を撤去して新しく下水汚泥処理施設を建設する予定である。

従って、昭和五五年度は公共下水道を通じて処理される分(一日平均約一三六キロリットル)を除いた一日平均約五四六キロリットルのし尿を処理する必要があるところ、東部衛生工場の処理能力は一日平均一六二キロリットルであるから新たにし尿処理施設を増設又は新設しなければならないところ、現存する二施設の敷地内に増設することは不可能であるため、どうしても他の場所に新設を余儀なくされている。

(二)  (建設地選定の合理性)

し尿処理施設の建設場所の選定には、(1)海又は川に近く処理後の排水が容易であること、(2)将来にわたって公共下水道建設計画がなく、し尿を収集する必要がある地域の中央に位置しし尿の搬入が時間的、経済的に便利であること、(3)人家が密接していないこと、(4)近隣の土地所有者の施設設置に対する同意が得られること、(5)施設に必要な一定面積の土地が入手可能であることの五条件が要求されるところ、本件処理施設は、その敷地面積は合計約一七ヘクタールであり周囲は松林で囲まれているうえさらに環境保全のため緑地、農村改善センター等が附置される予定で隣接した人家はなく、その放流水は普通河川安曽ヶ谷川に放流され、更に二級河川伊左地川を経て庄内湾に入り、また二年半にわたる折衝の結果昭和五一年六月には地元住民からも施設建設の同意が得られるなど、前記五条件をすべて充足している。

なお債権者らは直接海に排水できる建設場所を選定すべきである旨主張しているが、海岸寄りの土地は田畑として高度利用されており、民家も多いうえに、し尿収集区域の最南端に位置しているので、し尿運搬のため長い時間と多くの費用を必要とする(東海道本線を横切らねばならないという不利もある)。加えて海岸付近においてこれから用地を買収し、近隣の住民の同意をとりつけることは至難であり、昭和五五年の稼動には到底間に合わない。

(三)  (本件処理場の放流水が各種環境基準値に合致していること及び債務者の公害問題への姿勢)

(1) 本件処理場の建設計画及び予算は昭和五一年三月、市議会において満場一致で可決された。そこで、債務者は昭和五二年一月二〇日久保田鉄工との間に請負金額四二億九三〇〇万円、工期昭和五二年一月二〇日より同五四年三月三一日まで、放流水の保証数値は別紙排出物濃度表の設計変更前欄記載のとおりとする工事請負契約を締結した。

しかし債務者は、最終放流先である浜名湖の貴重な存在を当初より十二分に留意しており、本件処理場の設備には日進月歩の進展を続けるし尿処理技術の最高水準を取り入れることとし、昭和五二年一二月一三日、右工事請負契約を請負金額四七億八八〇〇万円、工期都市計画決定の日(昭和五二年一二月二三日)より二年六月間、放流水の保証数値の主要なものは別紙排出物濃度表の設計変更後欄記載のとおりとする旨変更した。

そして、右の保証数値を守るため放流口において排水の水温、流量、PHを自動測定装置により常時監視するとともに、他の項目については定期的(主要項目は週二回程度)に分析し記録することとし、右の測定記録は本件施設に備付の上、関係者の要請に応じて提示することにしている。

また各排出物の濃度が右の各保証数値を越える場合は直ちに操業を停止するため、約三日分のし尿を保管する調整槽を設置してある。

(2) ところで廃棄物処理法施行規則四条二項八号は、し尿処理施設の排水基準について「BOD日間平均値三〇ppm以下、SS濃度日間平均値七〇ppm以下、大腸菌群数日間平均値一立方センチメートル当り三〇〇〇個以下であって、生活環境保全上の支障がないようにすること」と規定しており、他方水質汚濁防止法三条三項に基づく昭和四七年静岡県条例第二七号三条一項一一号(同条例別表一二)は伊左地川の排水基準について別紙排出物濃度表の伊左地川排水基準欄記載のとおり規定している。

本件処理場の放流水中の各汚濁物質濃度は前記(三)(1)のとおりであり、設計変更前後を通じて右基準を大巾に下廻るものである。

(3) また庄内湾の環境基準については、同湾は「水質汚濁に係る環境基準について(昭和四六年一二月二八日環告第五九号)」の第一の2(2)に基づく昭和四七年静岡県告示第五一〇号により、海域Bに指定されているので、右環告五九号の第1の2(1)に基づく同告示別表2によれば「PH七・八~八・三、COD三ppm以下、DO五ppm以上、n―ヘキサン抽出物質(油分等)検出されないこと」とされている。

そこで債務者は本件処理場の放流水が流入した場合の庄内湾の環境及び水質変化の予測調査を行うこととし、浜名漁協との間に調査実施方法について覚書を作成したうえ、訴外株式会社環境工学コンサルタントに右の調査を委託した。

右の調査は昭和五二年五月に実施されたが、その結果は「本件処理場からの放流水により庄内湾の汚染はある程度増加するが、庄内湾にかかる環境基準値を超えることはない。」とのことであった。なお右は設計変更前の各排出物の保証数値に基づく予測であるから、設計変更後は右の調査結果より汚染が減少することは明白である。

また、右予測は河川の自浄作用は考慮していないが、放流水が安曽ヶ谷川、伊左地川を約三・二キロメートル流下して庄内湾に流入するまでには当然右の河川の自浄作用を受けるので実際には庄内湾の汚染の程度は右の予測より低くなるはずである。

(四)  (債務者の総合的な公害対策)

債務者は庄内湾の水質保全のための総合的施策として、湖東団地の公共下水道化、瞳ヶ丘団地のし尿処理施設の公共下水道への移管及び三次処理化、「し尿浄化槽取扱要領」新設による一般家庭のし尿浄化槽の維持管理の徹底を行うとともに、舞阪、雄踏両町民の家庭排水(現在は浜名湖へ流入)、し尿(現在は海洋投棄)をも含めた処理計画である西遠流域下水道事業の終末処理場を自己の行政区域内に設置することにしており、また夜間救急医療、消防、上水道の供給、伝染病隔離病舎などに関し舞阪、雄踏両町を含めた広域行政の中心的役割を果している。

(五)  (本件処理場放流水が庄内湾に及ぼす影響)

ところで庄内湾は現在富栄養状態にあるが、本件処理場から排出されるT―N(チッソ総量)、T―P(リン総量)SS(懸濁質)の何れも現在庄内湾に負荷されているそれらの総量から考えて、赤潮の発生及び底質悪化に与える影響は少ないものであるうえ、T―Nについてはその半分を占める硝酸性チッソ(NO3―N)が、水質の最も悪化する成層期においては脱窒作用によりむしろ水質を改善するものであることなどからすれば、本件処理場の放流水による庄内湾への汚染負荷は、水域の生態系に影響を及ぼす程のものではないし、まして水産業に直接的な被害を発生させる程のものではない。

(六)  (権利の乱用)

(1) 浜名湖は自然公物である。従って「放流水の水質が法令で規定される水質基準を超えない限り、債務者を含む沿岸住民は湖内に排水する権利を有するところ、本件処理場は債務者市民の生活に必須の公共施設でもある。

他方、債権者らが被保全権利として主張する漁業権は、庄内湾の水質がカキ養殖に適していることを前提に期間を限定して静岡県知事の免許のもとで、公物である海面(湖面)の一定区域を排他的に利用することを認められているものにすぎない。

従って、仮に本件処理場の排水がカキ養殖に何らかの影響を及ぼすおそれがあるとしても、右権利を基礎にして公共性の高い本件処理場建設の差止めを請求することは権利の乱用として許されない。

(2) 債権者らの主張する被害は結局は財産的な損害である。ところで、仮に債権者らの懸念するような事態が生じた場合は、その段階で本件処理場の施設の使用禁止等を求めることにより容易に右侵害を中止させることができる。また本来財産権は公共の福祉に適合するように法律できめられ私有財産は正当な補償のもとに公共のために用いることができるものである。

従って万一、公共施設の設置が住民の財産権を侵害した場合には、その被害を賠償するのは当然であるが、右侵害のおそれ(予測される被害が財産的なものである限り、たとえ受忍限度を越えていても)を理由に公共施設の設置の差止めまでも請求することは権利の乱用として許されないものである。

四、債務者の主張に対する反論

(一)  (本件処理場建設の必要性について)

債務者主張の推定人口は増加率の合理的根拠がない過大な推定である。債務者の過去五年間の人口動態からみれば増加率一%とすれば安全推計値として十分であるところ、右率によれば昭和五五年三月末日における債務者の人口は四九万二四一三人、昭和五六年三月末日のそれは四九万七三三七人、昭和五九年三月末日のそれは五一万二四〇七人となる。

ところで疎乙第四号証から逆算すると、一人一日当りのし尿量は平均一・二六リットルであり、同じく浄化槽汚泥量は一・六リットルであるから、昭和五五年三月末日の推定汲取し尿量は一日当り四六〇・九キロリットル、同じく浄化槽汚泥量は一日当り四四・九キロリットル、昭和五六年三月末日のそれらはそれぞれ四六一・八キロリットル、四七・七キロリットル、昭和五九年三月末日のそれらはそれぞれ三八七・三キロリットル、五六・六キロリットルとなる(この計算の基礎となる汲取、浄化槽、下水道利用者の人口比は疎乙第四号証における人口比に依っている)。

なお、疎乙第四号証によれば、債務者におけるし尿汲取量は、公共下水道の整備により昭和五六年三月末を頂点にして次第に減少していく予定である。

そして、公共下水道で処理されるし尿をも含む債務者の全し尿は、昭和五五年三月末日で一日当り六二〇・四キロリットル、昭和五六年三月末日は六二六・六キロリットル、昭和五九年三月末日は六四五・六キロリットルにすぎず、債務者の現有する処理施設の処理能力八〇〇キロリットルの範囲内である。(し尿、浄化槽汚泥はキロリットル、下水汚泥は立方メートルとその単位が異なるため処理能力の対比が面倒なので、全人口をし尿でみた方が真実の発見に便利である。)

従って、本件処理場建設の緊急性はもちろん必要性も認められない。

また、疎乙第二号証から逆算すると、一人一日当り下水汚泥量は、昭和五四年度は〇・〇〇四二六五立方メートル、同五五年度は〇・〇〇四二六一立方メートル、同五八年度は〇・〇〇三〇二六立方メートルであるから、結局昭和五四年度の下水汚泥量は一日当り四二〇立方メートル、昭和五五年度は四三〇・二立方メートル、昭和五八年度は五一三・二立方メートルとなり、現在の中部浄化センターの二系列の能力で十分処理しうるものである。

さらに現在公共下水道に流入している工場排水を各工場で自家処理させれば(現に富士市では各工場毎の自家処理が行なわれている)、下水汚泥は三分の一減少し、現在の施設で十分処理可能となる。

なお、債務者の主張する数値は、単位や性質の異なるものを故意に別々に取り出し一見もっともらしい形を作ろうとするもので相互に矛盾がある。

例えば、債務者は一方では昭和五六年三月末の下水汚泥量は一日四五〇立方メートルで、し尿に換算すると一三六キロリットル(即ち下水汚泥一立方メートルはし尿換算すると〇・三キロリットル)であることを前提の主張をしているが、他方では中部浄化センターの下水汚泥処理系列では二八三立方メートルの下水汚泥を、し尿処理系列では二〇〇キロリットルのし尿を処理している旨主張しているところ、右二つの系列は同能力であるから結局この場合の下水汚泥のし尿換算は〇・七一キロリットルとなり、前者と大幅に異なっている。

(二)  (本件処理場の建設地の選定について)

東部衛生工場の現敷地内における増設は困難かもしれないが、同工場付近は天竜川河川敷、農地、荒地であって拡張の余地は十分あり、中部浄化センターはその敷地内に増設の余地があるうえ、昭和五三年度以降建設予定の沈澱池、エアレーションタンクを多段式にするなどして更に空地を設けることも可能である。

また債務者はし尿処理場を海岸付近に建設するとし尿の運搬に不便である旨主張するが、現在でも浜松市北部で収集したし尿は同市西山町に一旦集積された後、大型タンクローリー車により東海道線を横切って中部浄化センターに搬入処理されている。また東海道線は昭和五三年度末迄に高架工事が完成する予定である。従って右主張は理由がない。さらに海岸付近の米津町、倉松町、篠原町一帯は、債務者主張のように高度利用されている地域ではない。

要するに債務者は本件処理場から発生する公害を回避するために深い配慮を施すことなく、安易に自己に好都合な建設場所を選定しただけのことである。

従って、今から建設場所を買収し、付近住民の同意を得ていたのでは、し尿処理施設の稼動が昭和五五年には間に合わないとしても、それは行政当局の不手際から生じたことであり、そのしわ寄せを債権者らが甘受すべき理由はない。

(三)  (各環境基準値及び債務者の公害への姿勢について)

債務者の主張する各環境基準が存在することは認めるが問題は単なる基準値の遵守ではなく放流物質の総量及び性質であり、それらが浜名湖の環境にいかなる影響を及ぼすかである。

一般的に、し尿処理施設を設置する場合には、予定地付近の海域の潮流の方向、速度を専門的に調査研究して、放流水の拡散、停滞の状況を的確に予測し、また同所に生息する魚介類、藻類に対する放流水の影響について生態学的調査を行い、これらによって当該施設が設置されたときに生ずるであろう被害の有無、程度を明らかにし、公害が発生するかどうかを厳密に検討したうえで、当該予定地以外に施設を建設する以外適当な方法がないと判明した場合にはじめてその調査結果に基づき具体的な被害者に対する補償問題等も含めて住民を説得する等の措置を講ずべきであるのに、本件処理場の建設に際し債務者は何ら右要請に沿う調査及び住民との交渉をしていない。

なお債務者が主張する浜名湖環境現況調査及び将来予測調査は、その報告書も指摘しているように「極めて短期間の庄内湾だけの調査であり、正しい評価のためには調査海域を拡大し、期間も一年間継続して行なう必要がある」もので、調査としての価値は極めて低く前述の要請にかなう調査とは到底いえない。

また、放流水の検査についても債務者主張の程度では不十分で、脱窒槽又は曝気槽出口にも水質検査機構を置き、少なくとも日に数回水質検査をなすとともに、非常時の運転停止に備え一〇数日分のし尿調整槽ないし貯留槽を設けるべきである。

(四)  (権利乱用の主張について)

現在の水質基準は濃度規制であって総量規制ではないが本件で問題なのはまさに排出物質の総量であることは前述の如くであるところ、「田子の浦ヘドロ住民訴訟控訴審判決」は、法令による水質基準が定められていなかった当時の製紙工場からの廃水行為についてすら、「河川の水質の許容限度を超え他に被害を与えれば違法である」と説示していることからして、債務者の放流水の水質が法令の基準を超えない限り放流水を浜名湖に放流する権利がある旨の主張は失当である。

また漁業権の免許制度、存続期間制度は、漁業権の内容の固定化を防ぎ、海況の変化、技術の進歩に応じて最も高度に漁場を利用する者に漁業の免許を与え、もって生産力を発展させるためのもので、畢竟漁民の利益を図る制度であり、知事は債権者らが免許申請するときは漁業法一一条により同法一三条所定の事由のない限り免許を義務づけられているものである。

第三当裁判所の判断

一、(当事者)

債務者は浜松市西部住民のし尿処理のために、別紙土地目録記載の土地に本件処理場を設置することにして、近く建設工事に着工する予定であること及び債権者らは債務者の近隣市町村の住民、つまり債務者の市民でないことは当事者間に争いがない。

また《証拠省略》によれば、本件処理場の放流水が流入する庄内湾には別紙区画漁業権漁揚位置見取図に掲記した特区第八六、八七、八八、九〇号の各カキ養殖漁場が存在するところ、債権者らは、浜名湖において、のり、カキ、あさり養殖業等の各種漁業権を有している浜名漁協の組合員であって、浜名漁業協同組合区画漁業権行使規則第二条(1)に基づきカキ養殖漁業を営む権利を有するものであり、現に右の各カキ養殖漁場においてカキ養殖漁業を営んでいる者らであることが一応認められ、他に右認定に反する疎明資料はない。

二、(本件紛争に至る経過)

《証拠省略》によれば次の事実が一応認められ、他に右認定に反する疎明資料はない。

(一)  債務者は、今後の人口増加及び公共下水道の整備に伴い現有のし尿、下水処理能力だけでは近い将来し尿、下水の処理に困難をきたすと判断し、昭和五一年三月ころ、市議会において、本件処理場の建設計画及び予算を可決した。(当初は同年着工、昭和五三年度内完成予定)

なお建設計画自体は昭和四八年一一月ころすでに発表され、地元住民に対する説明会はそのころから開始されていた。

(二)  その後債務者は、本件処理場建設用地の買収(約一二億円)を済ませ、昭和五一年六月一八日には、右建設予定地周辺の伊左地町、湖東町、緑ヶ丘の各自治会より、本件処理場から発生する臭気、排ガス等についての保障協定を締結したうえで、本件処理場建設に対する同意を得るとともに、昭和五二年一月二〇日、久保田鉄工と本件処理場建設工事請負契約(以下当初請負契約という)を締結した。

(三)  昭和五二年一月ころ、債務者は浜名漁協に対し、本件し尿処理場建設への協力を要請した。(債務者が浜名漁協に協力要請したことは当事者間に争いがない。)

当時の浜名漁協の組合長、専務らは建設に対し条件付賛成の立場であったが、一般組合員、特にカキ養殖業者には本件処理場からの放流水により庄内湾が汚濁されると考えて建設に反対する者が多く、同人らは放出反対期成同盟会を結成し独自に債務者に話し合いを求めたが、債務者は浜名漁協(即ち、組合長ら)を窓口として交渉するとしてこれを拒否し続けた。

債務者は右方針に沿って、組合長、専務らを主たる相手方として話し合い、説明会を重ね、その間本件処理場からの放流水の影響を調べるため庄内湾の環境現況調査及び将来予測調査を株式会社環境工学コンサルタントに委託して行ったり、現在庄内湾に汚濁をもたらしている湖東団地の下水道整備、瞳ヶ丘団地下水道終末処理場施設の三次処理化(以上は昭和五六年夏頃に完成の予定)、吉野養豚団地の排水の三次処理化、流入河川の汚濁浄化、一般家庭のし尿浄化槽の維持管理の徹底を為して、庄内湾全体の汚濁負荷を減少させることを建設協力の見返り条件として提示したり、本件処理場の処理工程を最新のものにするため当初請負契約の内容を変更する予定である旨説明したりした(この契約変更は後述の反対決議後の昭和五二年一二月一三日締結された。以下これを変更契約という)。

浜名漁協は、右の交渉の経緯を踏まえて、昭和五二年一一月七日、本件処理場建設問題を討議するため同組合の議決機関である総代会を開催し採決したところ、その結果は建設反対が多数をしめた。そこで、同漁協は同月九日、その旨債務者に連絡した。右連絡を受けた債務者は、同月一八日、浜松市議会厚生保健委員会に「本件処理場は年内着工を目指す」旨提案し、同委員会はこれを了承した。

そこで債権者らは債務者の本件処理場建設強行を阻止すべく本申請に及んだ。

右事実から窺われることは債務者の浜名漁協を含めた漁民との話合いが不十分であったということである。即ち債務者の本件処理場建設行為は、各汚濁物質の負荷量について後記認定の当初請負契約で保証された各数値を念頭においてなされているものと推認されるところ(けだし、変更契約は昭和五二年一二月である。)、右数値(特に窒素は現在庄内湾に流入している総量とほぼ同量排出される予定であった)からすれば本件処理場建設から生じる一番の問題点は、臭気、排ガス等が地元住民に及ぼす影響ではなく、窒素、リン等の汚濁物質が庄内湾の環境及び漁業に及ぼす影響に対する危惧であることは容易に推察し得るにもかかわらず、債務者は右危惧を等閑視し、ようやく、浜名漁協に協力を要請したのは計画発表から三年、地元住民との協定締結から半年後である。しかも地元住民は一方では本件処理場により受益する面があるのに対し、浜名漁協組合員の内には債権者らのように、仮に被害が生ずるとすれば、本件処理場からの受益はなくして、一方的に損害だけを蒙るおそれのある者が多数いるのであるから、この面からも浜名漁協への協力要請は遅すぎたというべきであろう。

また債務者の浜名漁協を窓口とするとの交渉方針は、法律的には非難の余地はないとしても、債務者は債権者らが漁協幹部と意見を異にしており、しかも本件処理場建設問題に関し最も利害関係の深い者達であることを知悉していたはずであるから、債権者らが交渉を求めてきた場合、その交渉の方法がルールを逸脱しないものである限り(逸脱したものであるとの疎明資料はない)、行政当局たる債務者としては同人らの意見にも耳を傾け、是は是、非は非として説得を試みるべきであったと思料される。

さらに、債務者が業者に委託して行なった庄内湾の環境調査は、前記危惧を科学的に解明しようとするものでそれ自体は有意義なものであるが、その調査期間については調査報告書が自認しているように、「わずか二週間の環境調査に基づくもので、より正しい評価のためには四季を通じて調査することが望ましい」ものであるし、債務者が見返り条件として提示した湖東団地の下水道整備等の庄内湾全体の汚濁負荷減少の施策も、後記認定のようにこれらの汚濁は債権者らの操業に現に影響を及ぼしているのであるから、本来は早急に実施すべきものであったであろう。

以上、要するに本件紛争の原因の一端は、債務者の浜名漁協に対する協力要請が遅きにすぎ、そのため漁民らと十分な話し合いがなされないままに、時間に追われて建設に着工しようとしている債務者側の態度にあったと見られないこともない。

しかしながら、本件処理場建設差止請求の当否については変更契約に基づく処理施設の能力が判断の対象となるのは当然であるし、時機に遅れたとはいえ庄内湾の環境調査及び湖東団地の下水道整備等の施策提示は債務者の庄内湾の環境改善への努力の表れとしてそれなりに十分評価すべきものである。

また、右説示のように債務者は本件処理場の建設に際し十分な環境アセスメントをなしたとは言えないが、いまだ環境アセスメントをなすべき法的義務が債務者にあるわけではなく、後記認定の本件処理場の公益性、必要性等と放流水の庄内湾に及ぼす影響との比較考量という実質的な面を無視し単にアセスメントを十分なさなかったということだけから直ちに建設差止めを認めることは相当ではないというべきである。

三、(本件処理場建設の必要性―債務者のし尿処理の現状と将来計画)

《証拠省略》によれば一応次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(一)  し尿の処理方法には、(イ)各家庭よりし尿を汲取処理施設に搬入して処理、(ロ)公共下水管を経由して終末処理場に集積した後、浄化処理、(ハ)各戸または集団(団地)毎に設置されたし尿浄化槽で処理、(ニ)自家処理の各方法があるところ、債務者における昭和四六年度から昭和五一年度までのし尿処理の概況は別紙し尿処理の実績記載のとおりである。(なお、右(ロ)の終末処理場は、し尿のほか生活廃水、事業廃水等、公共下水管に流入する廃水から発生する下水汚泥を処理するもので、単にし尿汚泥のみ処理するものではない。)

(二)  債務者の現有するし尿、下水汚泥処理施設は東部衛生工場と中部浄化センターである(同事実は当事者間に争いがない。)

東部衛生工場は汲取し尿の処理施設で、昭和四四年一月に着工、同四五年一二月に竣工したもので、浜松市の東北部に位置し、放流水は天竜川に放流されている。同工場のし尿処理能力は一日当り二〇〇キロリットルであり、週日は現に同量処理されているが、同工場にはし尿を保管する調整槽がないため汲取作業のない休日は処理作業も行なわず、そのため一年を通しての一日平均処理量は一六二キロリットルである。

中部浄化センターは公共下水道汚泥の処理を主とする施設で、浜松市の南部に位置し、現在は処理施設三系列(以下区別するときは第一、第二、第三系列という―各系列ともし尿であれば一日平均二〇〇キロリットル、下水汚泥なら一日平均二八三立方メートルの処理が可能)を有し、その放流水は馬込川に放流されている。同センターは昭和三六年に第一系列が稼働を始め、順次第二、第三系列が建設されてきたもので、現在もまだ建設途上の部分がある(但し、建設途上部分は現有処理能力の増加に直結しない設備である。)。同センターでは、第一系列において年間を通じて一日平均一六二キロリットル(理由は東部衛生工場に同じ)の汲取し尿を処理し、第二、第三系列において下水汚泥及び汲取し尿の一部(下水汚泥のみでは処理能力に余裕があるため)を処理している。

債務者における昭和四六年度から同五一年度までの公共下水道処理面積、同処理人口、同流入下水量、同濃縮汚泥量は別紙消化槽能力調書に記載のとおりであり、同年度毎における中部浄化センターの処理実績も同調書記載のとおりである。

なお債務者は現在公共下水道区域の拡大事業(昭和六〇年度完成予定)を行なっており、同事業の実施に伴い下水汚泥量は急速に増大し、昭和五八年度には第二、第三系列での処理能力を上回ることになるので、耐用年数を経過した第一系列を撤去のうえそのあとに下水汚泥処理施設を建設して、その処理に当てたいと計画している。

(三)  右の(一)、(二)のし尿、下水汚泥処理の実態を昭和五一年度を例にして要約摘示すると、債務者が処理すべき同年度の汲取し尿量は一日平均約四二五キロリットル、浄化槽汚泥量は同三一キロリットル、下水汚泥は三八〇立方メートルであり、このうちし尿三二四キロリットルを東部衛生工場と中部浄化センターの第一系列で、その余のし尿及び浄化槽汚泥、下水汚泥を中部浄化センターの第二、第三系列で処理(処理能力から見ると下水汚泥換算して四四・二立方メートルオーバー)したことになる。

(四)  そこで、次に人口増加及び公共下水道の整備に伴うし尿、下水汚泥量の変化を予測することにする。

まず人口増加について見るに、債務者における昭和四六年度から同五一年度までの各年度毎人口は、別紙し尿処理の実績中行政区域内人口欄記載のとおりであり、昭和五二年度(正確には昭和五三年四月一日現在)は四八万二七〇五人であることは当裁判所に顕著な事実(債務者が市民に各戸配布する広報はままつ昭和五三年四月下旬号)であるから、昭和四七年度ないし同五二年度における人口増加率(対前年比)は順に〇・〇一八四、〇・〇一二六、〇・〇一三九、〇・〇〇七三、〇・〇〇八九、〇・〇一となりその平均は〇・〇一一九となる。ところで、将来の人口を予測する場合、特別な事情がない限り過去の人口増加率を基準にするのが合理的であるところ、本件はし尿処理場建設のためのし尿量予測という目的の性質からして、その増加率は多少余裕をもたせて〇・〇二とするのが相当である。そこで同率に従って債務者の将来の人口を試算すると、債務者の昭和五三年度以降の推計人口は別紙債務者のし尿処理見通しの行政区域内人口欄記載のとおりとなる。

右説示に反する債権者らの主張は採用しがたく、また債務者主張の人口予測はいかなる基準によるのか明らかでないうえその主張を首肯させる疎明資料もなく失当である。

次に右推計人口に基づいて昭和五二年度から同六〇年度までの債務者におけるし尿、下水汚泥量を予測するに、(1)各年度毎のし尿汲取人口、公共下水道人口、し尿浄化槽人口、自家処理人口は、債務者が疎乙第四号証において主張する各人口の年度毎の百分比を各年度の人口に乗じたものとするのが相当であるところ、その結果は別紙債務者のし尿処理見通し中の各人口欄記載のとおりであり、(2)債務者の住民一人が一日当り排出するし尿量は、昭和四六年度から同五一年度までのそれが順に、平均一・一七リットル、一・三九リットル、一・二六リットル、一・三〇リットル、一・二六リットル、一・二〇リットルで、その総平均は一・二六三リットルであるから、住民一人が一日当り排出するし尿量は一・二七リットルとして計算するのが相当であり、従って債務者が昭和五二年度以降処理しなければならないし尿量は別紙債務者のし尿処理見通し中、し尿量欄記載のとおりと推測され、(3)債務者の住民一人が一日当り発生させる浄化槽汚泥量は、昭和四六年度から同五一年度までのそれが順に、平均一・八五リットル、一・七一リットル、一・六〇リットル、一・五八リットル、一・五二リットル、一・五七リットルでその総平均は一・六三八リットルであるから住民一人が一日当り発生させる浄化槽汚泥量は一・六四リットルとして計算するのが相当であり、従って債務者が昭和五二年度以降処理しなければならない浄化槽汚泥量は別紙債務者のし尿処理見通し中浄化槽汚泥量欄に記載のとおりと推測され、(4)下水汚泥はその性質上人口との間に、し尿や浄化槽汚泥量が人口との間に有するような密接な相関関係がないので、住民一人当りの数値に意味がなく、その予測については、疎乙第二号証の各年度毎の下水汚泥量に、当裁判所が推定した当該年度の公共下水道人口を同号証に記載されている同年度の公共下水道人口で除した割合を乗じて算出するのが相当であるところ、右計算の結果によれば昭和五三年度以降の下水汚泥量は別紙債務者のし尿処理見通し中公共下水道濃縮汚泥量欄記載のとおりであると推測される。

前記(二)で認定した事実及び右予測の結果を総合すれば、下水汚泥は昭和五九年度中には中部浄化センターの第二、第三系列の合計処理能力を超えることになり、従って遅くとも昭和五九年三月三一日までには同センターの第一系列を撤去し、新たに下水汚泥処理施設を完成している必要があることになる。

ところで、右工事に要する期間をここで断定することはできないが、仮に二年とすると、従来の第一系列は昭和五六年度まではし尿処理に使用可能、同五七、五八年度は使用不能、同五九年度以降は新造施設が下水汚泥処理に使用可能ということになる。

すると本件処理場を建設しなかった場合の一日平均未処理し尿量は次式により

し尿量+浄化槽汚泥量-(566(昭和59年度以降は849)-下水汚泥量)×162/283-324(昭和57年度以降は162)(単位は下水汚泥量は立方メートル,それ以外はキロリットル)

大略昭和五二年度は六九・八キロリットル、同五三年度は九七・三キロリットル、同五四年度は一一八キロリットル、同五五年度は一三四・一キロリットル、同五六年度は一三七・二キロリットル、同五七年度は三〇七・三キロリットル、同五八年度は三〇一・三キロリットル、同五九年度は一三八・四キロリットル、同六〇年度は一二六キロリットルとなる。

右のように本件処理場を建設しないと、債務者は現在でもすでに数字上は未処理量がある(右事実は債務者のし尿の処理施設への過剰投入を推認せしめる)うえ、昭和五七年度には大略一日平均三〇七・三キロリットルもの未処理し尿を生じさせることになる。(なお、第一系列が昭和五五、五六年度に使用不能となる場合を想定しても、その場合の未処理し尿量は昭和五五年度は一日当り平均二九六・一キロリットル、同五六年度は同二九九・二キロリットルであり、前記認定説示の場合より未処理し尿量は少ない。)

従って、一日四〇〇キロリットルのし尿処理能力を有する本件処理場は早急に建設する必要があるというべきである。(但し、処理能力については、人口増加率に多少余裕をもたせてあること、及び東部衛生工場を休日も操業すれば現在より一日平均三八キロリットル多くし尿処理できることからして一日三〇〇キロリットルでも足りる可能性は高い。)

債権者らは現在公共下水道に流入している各工場排水を自家処理させれば本件処理場建設の必要性はない旨主張するが、下水道法の趣旨に照らせば公共下水道の供用を開始した地方自治体は特別な事情がない限り公共下水道の排水区域内の工場排水を受け入れなければならず、地方自治体の独自の判断で各工場に排水の自家処理義務を負わせることはできないというべきであり、従って右主張は採用し得ない。

その余の前記説示に反する債権者らの主張は失当である。

ところで、後記認定の庄内湾の特性、現状からすると、本件処理場のし尿処理量は少ないにこしたことがないことは明らかなので、債務者としては東部衛生工場、中部浄化センターで処理可能なし尿は最大限これらの施設で処理し、その余の処理不能分に限り本件処理場で処理するとの行政上の配慮をすることが望ましいであろう。(その際、運搬費等の支出が余儀なくされるとしても、本件処理場の建設により後記四の(三)で認定する中部浄化センターまでの運搬費の出費を免がれ得る面もありその程度の費用はし尿を生じさせた債務者市民が負担すべきものであろう。)

四、(本件処理場の建設場所)

《証拠省略》によれば一応次の事実が認められ、右認定を覆すに足る疎明資料はない。

(一)  東部衛生工場はその敷地一面に施設が建造されており、中部浄化センターの敷地もすでに建設済又は建設予定の建物で全部使用されていて、共に新しい施設増設の余地はない。

(二)  本件処理場の建設場所(以下本件予定地という)は、静岡県が施行しようとしている西遠流域下水道計画の範囲外として将来的にもし尿収集の必要がある区域のほぼ中心に位置し、かつ伊左地川に近く処理排水の放流に便利な所である。また付近には人家の密集している区域もない。

そこで債務者は、浜松市の東部及び南部にはすでに処理施設が存在することをも考慮して、本件予定地に新しくし尿処理場を建設し、浜松市を東西に二分してその西部のし尿処理を担わせることにした。

(三)  なお現在債務者北部で収集されているし尿は、一旦浜松市西山町所在のし尿集積場に集められた後、さらに同所から大型タンクローリーによって東海道線を横切り中部浄化センターに搬入され処理されている。

そこで案ずるに、右の(一)の事実によれば新しくし尿処理場建設場所を捜す必要があるところ、右の(二)の前段の事実及び前記二で認定した本件予定地がすでに買収済みであり、付近住民の建設同意も得られている事実から判断すると、本件予定地は現在債務者がし尿処理場を建設するには立地条件、経済性、対住民面等において最適地であり、債務者の右の(一)の後段の計画はまさに適切妥当というべきである。

ところで債権者らが主張するように天竜川沿岸又は海岸付近に本件処理場を建設すれば何ら排水汚濁の問題は生じないけれども、後記説示のように本件処理場の放流水による庄内湾のカキ養殖被害が債権者らの受忍限度であること、及び今から新しい建設場所を確保し近隣住民の同意を取り付けていたのでは債務者のし尿処理機能は完全に麻痺してしまうことからすると、債務者が天竜川沿岸又は海岸付近で本件処理場建設のための場所を捜すべく努力をしなかったことは本件処理場の建設差止請求を認容しなければならない程の理由とはなし難いというべきである。

右説示に反する債権者らの主張は採用できない。

五、(本件処理場の放流水中に含まれる汚濁物質の濃度及び総量(負荷量)と債務者の保証数値遵守能力)

(一)  《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

(1) 債務者は久保田鉄工と本件処理場建設の請負契約を締結したが、その当初の処理施設は一日の生し尿の処理能力四〇〇キロリットルのいわゆる三次処理工程を採用した工業用水二〇倍希釈のし尿処理施設で、脱窒工程は長時間曝気方式であり、その放流水の水質及び同水中に含まれる各種汚濁物質の濃度の保証値(久保田鉄工が最高値として保証した数値)は別紙排出物濃度表の設計変更前欄に記載のとおりであり、右濃度によればその一日当りの負荷量は、BOD四〇キログラム以下、COD一二〇キログラム以下、SS六四キログラム以下、T―N四八〇キログラム以下、NH4―N五六キログラム以下、PO4八キログラム以下、塩素イオン一二〇〇~一四四〇キログラムである(一日当りの処理能力及びBOD、T―N、PO4の濃度については当事者間に争いがない。)。

そして、昭和五二年二月一二日に開催された浜名漁協の理事会において、久保田鉄工の技術者は右の処理施設は全国的にみても最高水準にあるもので、これ以上窒素を除去することは小さな施設ではなされているが現実には運転技術面でかなり難しいと思っていると組合理事者らに説明した。

(2) その後の昭和五二年一二月、債務者は久保田鉄工と処理施設の設計変更契約を締結した。同契約に基づく処理施設(以下本件施設という)は、一日当りの生し尿処理能力及び三次処理工程を有する施設である点は従前の施設と同じであるが、工業用水希釈倍率を一六倍としたり、処理工程に改良(原設計の第一曝気槽を混合分解槽とし、硝化混合液を循環させると共に、脱窒槽、曝気槽及び砂ろ過装置を設置した)を加えたりして放流水の水質を改善し、同水中の汚濁物質の濃度及び負荷量を大幅に減少させたもので、その処理工程は以下のとおりである。

なお本件施設は生し尿だけでなく浄化槽汚泥もし尿量の二〇%の割合で混合して処理するものである。

(イ) 収集されたし尿及び浄化槽汚泥は(以下処理工程の摘示部分では両者を併せて単にし尿という)バキューム車から投入受槽に投入され、同槽において小石、砂レキ等を沈降により除去し、次に投入槽に入り、ここで破砕機によりビニールかす、タオル等の夾雑物を細かく破砕し、次に前処理設備(ロータリースクリーン、スクリュープレス)に移送され、ここで破砕した夾雑物を除去した後分離液槽に貯留される。なお除去された夾雑物は焼却炉に送られ焼却処分される。

なおこの投入槽から前処理機械に移送する途中で電磁流量計によりし尿の流量を測定し、全処理量を積算記録する。

(ロ) 分離液槽に貯留されたし尿は投入ポンプにより調整槽(定量ポンプによりし尿を一定量ずつ連続的に次工程の第一曝気槽に送るための貯留槽)に送られ、ついで同槽から第一曝気槽(=混合分解槽)に送られたし尿は後工程より返送されてくる第二曝気槽(=硝化槽)混合液、返送汚泥、脱水分離液、凝沈汚泥と共に一二・五時間曝気(空気を吹き込み亜硝酸菌、硝酸菌に必要な酸素を供給すること)される。第一曝気槽では亜硝酸菌、硝酸菌、脱窒菌の働きによりBODの除去とアンモニア性窒素の硝化、脱窒(脱窒効果は七〇~八〇%)が同時に行なわれる。

第一曝気槽処理液は第一沈澱槽を経て第二曝気槽に送られる。第一沈澱槽にたまった汚泥は第一曝気槽に返送される。

なお第一曝気槽での処理効果を最適に維持するためORP計(酸化還元電流計)を設置し曝気状態を調整する。

(ハ) 第二曝気槽に送られたし尿はここで残っていたアンモニア性窒素を完全に硝化され、ついで脱窒槽に送られる。第二曝気槽では水質が中性になるように苛性ソーダを注入して調整するほか、DO計(溶存酸素計)、温度計を設置しDO及び水温を監視する。

(ニ) 脱窒槽では亜硝酸性窒素、硝酸性窒素を、嫌気性状態の下で、脱窒菌の働きにより窒素ガスに変化させ揮散させる。この際脱窒菌の栄養保給としてメタノールを注入するが、メタノールが常時適正量注入できるようメタノール自動調整注入装置を設置する。なお揮散した窒素ガスは第二曝気槽、脱臭設備を通り大気中に排出される。

(ホ) 脱窒槽処理液は曝気槽に送られ、ここで残留するBOD(残留メタノール分)をBOD酸化菌(同菌に酸素を供給するため曝気する)により炭酸ガスや水に変化させて除去した後、第二沈澱槽に送り汚泥と上澄液に沈降分離させる。

右汚泥は返送汚泥として一部は第一曝気槽に返送し、残りは引抜いて濃縮後、脱水し焼却処分する。

返送汚泥、引抜き汚泥とも適正量を返送又は引抜くために電磁流量計により監視する。

(ヘ) 第二沈澱槽の上澄液は凝集混和槽に導かれ、ここで上澄液中の微細なSSを沈降可能な凝集塊とするため凝集剤(硫酸バンド)及び凝集助剤を注入(この時水質を中性に調製するため苛性ソーダも注入する)したうえ、凝集沈澱槽に送られさらに上澄液と凝集沈澱汚泥に分離される。

右の凝集沈澱汚泥は第一曝気槽に返送する。

右の処理によりBODの七〇%、CODの五〇%、SSの九〇%、リンの九九%、色度七〇%程度が除去される。

(ト) 凝集沈澱槽の上澄液は前処理で除去できなかったなお微細な夾雑物をマイクロストレーナー設備により除去した後、砂ろ過設備に送られる。砂ろ過設備での接触時間は七分三〇秒であり、約六〇%のSSが除去される。

そして最後に活性炭ろ過設備に送られ、ここでBODの五〇%、CODの七五~八〇%、色度の七五%程度の除去を行なった上で六、〇〇〇キロリットルの工業用水で希釈され放流される(放流水量は一日当り六、三六四キロリットルである。)。

放流水は流量計、PH計により水量、PHの監視を行う。

(3) 右の処理施設から排出される放流水中に含まれる各汚濁物質について久保田鉄工が保証した数値(但し、正常運転時)は次の各濃度であり、その除去率及び一日当りの負荷量は次のとおりである(( )内は設計変更前の負荷量に対する割合)。

BOD―五ppm以下、九九・四%、三一・八二キログラム以下(約八〇%)、COD―一〇ppm以下、九八%、六三・六四キログラム以下(約五三%)SS―五ppm以下、九九・六%、三一・八二キログラム以下(約五〇%)、T―N―一〇ppm以下、九六・八%、六三・六四キログラム以下(約一三%)、N―H4―N―三ppm以下、九八・六%、一九・〇九キログラム以下(約三四%)、PO4―一ppm以下、九八%、六・三六キログラム以下(約八〇%)(PO4中のP量は大略三分の一である。)

また、水質についての保証数値は、PHは六・五~八・五、色度は三五度以下、大腸菌群は三〇〇〇個/cm3以下、塩素イオンは一八五ppm以上で一日約一、一七七キログラム以上である。

なお、右の保証数値は債務者が主張するように、廃棄物処理法施行規則四条2項八号に規定する排水基準値及び水質汚濁防止法三条三項に基づく昭和四七年静岡県条例第二七号三条一項一一号に規定する伊左地川(浜名湖水域)への排水基準値を下回っている。(但し、これらの規制項目はBOD、SS、PH、大腸菌群数であり、COD、T―N、NH4―N、PO4については規制されていない。)

(4) 債務者は放流水の監視体制として、放流水の水温、流量、PHは自動測定装置により常時監視し、その他の主要項目(BOD、COD、SS、T―N、NH4―N、PO4、色度、塩素イオン等)は週二回以上測定監視する体制をとる予定であり、さらに、これらの測定記録は施設に備付の上、関係者の要請に応じ提示する意向である。また本件施設には異常事態の発生にそなえ、約三日分のし尿が保管可能の調整槽が設置してある。

(5) 久保田鉄工は総社市浄化園及び岡崎市衛生センター内において、昭和五一年五月から昭和五二年一二月までの間、本件施設と同一のフローシートに基づく一日当り一五〇~二〇〇リットル処理規模のパイロットプラントによる処理実験を行なったが、その結果は放流水中の汚濁物質濃度は、BOD二・五ppm、COD五・三ppm、SS二・五ppm、T―N五・一ppm、NH4―N〇・八ppm、PO4〇・二ppm、色度二二度であり、同社が本件施設において保証したそれぞれの数値よりもかなり低かった。

なお、同一のフローシートとはいえパイロットプラントは実験設備であるので、投入し尿を二倍希釈(但し放流時の希釈倍率は六~一〇倍)している点、混合分離槽、硝化槽、脱窒槽、再曝気槽が各三槽に分かれ段階処理されている点、混合分解槽、硝化槽、脱窒槽がヒーターにより一五度以下にならないよう温度調節されている点が本件施設と異なっている。

(6) 久保田鉄工が設計施工した本件施設と類似のフローシートによるし尿処理施設は青森市(田川清掃工場―昭和四八年一〇月竣工、但し脱窒工程は設計変更前の施設と同じ長時間曝気方式)と総社市(総社市浄化園―昭和五一年一月運転開始)とに存在し、右各施設の運転実績(田川は昭和五〇年一月から一二月までの平均、総社は昭和五一年三月から昭和五二年四月までの平均)によれば、COD(田川三八ppm、総社一九・一ppm)、NH4―N濃度(田川二三・四ppm、総社一四・二ppm)、T―N濃度(田川五六・七ppm、総社三八・六ppm)において本件施設の保証数値を大きく上まわっているが、他の汚濁物質の濃度は本件施設の保証数値よりも低い。

なお、《証拠省略》によれば、田川清掃工場の昭和五二年度のT―Nは最大一一七・四ppm、最少六八・一ppm、平均七九・六ppmであること及びNH4―Nはその保証数値が一八・五ppmであるところ、最大値四〇・二ppm、平均値一八・二ppmであり、平均値はともかく最大値はこれを大幅に超えていることが認められる。

しかし、右各施設にはCOD除去効果の高い活性炭ろ過設備がない点、NH4―Nを硝化し脱窒する処理工程においても硝化槽、脱窒槽が独立して設置されていない点において本件施設とは異なっている。(田川清掃工場の脱窒槽は合成窒素吸着剤によるアンモニア吸着装置であり、本件施設の脱窒槽とは全く異なる。)

(二)  そこで案ずるに、右(一)の(1)(2)(5)(6)の各事実(但し、(6)の中段の事実を除く)からすると、本件施設は青森市と総社市とにおいて現に稼働中の施設の処理工程に、COD、T―N、NH4―Nの除去率を向上させるための改良を加えたもので、(青森市と総社市の各施設における右以外の汚濁物質の濃度が本件施設におけるそれらの保証値以下であることは前記認定のとおり)、我国のし尿処理施設では最新の処理工程を有するものであるが、その改良点である脱窒機構及び活性炭によるCOD除去機構は理論的にも妥当なものであるところ、本件施設の実験プラントとして製作された岡崎市衛生センター、総社市浄化園内のパイロットプラントによる実証運転の結果も、前記認定のとおり各汚濁物質の濃度は本件施設での保証数値の約半分という良好なものであるから経験的にもその妥当性が確認されたものといい得るので、従って、本件施設は適切な維持管理、運転が行なわれれば右(一)の(3)で認定した久保田鉄工の保証数値以下の水質を確保することができるものということができる。右(6)の事実中田川清掃工場が現在多量の全窒素を排出していること及びNH4―Nの保証水質を最大値で上回っていることは右(6)後段の事実に照らすと必らずしも前記認定判断を妨げるものではない。

また、なるほど久保田鉄工は昭和五二年二月には設計変更前の施設を我国最高水準と説明していたのに、一〇ヶ月後の設計変更ではT―Nの負荷量はいっきょに一三%に減少する等の大幅な改善がなされたことになり、両者は一見矛盾するようであるが、前記認定のように久保田鉄工は右の説明と同時に窒素除去のための実験プラントの存在にも触れており、右設計変更は同プラントがその後の研究、実験により実用化の目途がついた結果なされたものと推測され、従って前記のような大幅な改善がなされたとしても何ら不合理な点はない。従って、前記説明から本件施設が机上のものということはできない。

本件施設とパイロットプラントとは右(一)の(5)で認定した相違点が存在するが、右の相違は本件施設の基本的な方式に関するものではないこと、及び実験結果による各汚濁物質の濃度が本件施設の保証数値に比較して極く良好であることから、本件施設はパイロットプラントと右の点で相違してもその保証数値は十分確保できるものと推認される。

ところで、疎甲第二一号証(判例時報七七二号の一部)に掲載の熊本地裁昭和五〇年二月二七日の判決によると、同事件で問題とされた処理施設と設計製造者(久保田鉄工)及び構造を同じくする五ヶ所のし尿処理施設では、「し尿の恒常的過剰投入、活性汚泥、空気、希釈水の調節等の運転管理の難かしさ、放流水の検査不足のため、設計どおりの運転ができていない場合が多いと推測される」旨判示されている。

しかしながら、これらの施設は右疎明資料自体から昭和四六年以前に設計された二次処理までの設備しか備えていない施設であることが窺われ、従って本件施設より処理能力が劣るものであり、右瑕疵がそのまま本件施設に当てはまるものとはいい難いうえ、債務者の将来のし尿量等の予測は前記三記載のとおりで本件処理場が建設されればし尿の過剩投入は物理的にあり得ないのであるから、これら過去の処理施設の運転状況によって本件処理場の放流水の水質を推認するのは失当である。従って、右事実は前記認定判断を妨げるものではない。

また、弁論の全趣旨によれば、現在浜名湖に放流水を流入させている細江し尿工場及び浜名湖競艇場処理施設はいずれも建設前は、し尿を高度処理して放流するので漁業被害は生じないと説明されていたのに、稼働し始めたら現に漁業、のり、カキ養殖被害が生じていることが認められることに照らすと、果して本件処理場が計画どおり稼働するかどうか疑念がないわけではないが、本件処理場と前記二施設とは設置者が異なり、本件処理場については債務者が保証数値を守る旨の協定書の締結を申出ていること及び前記(一)に掲記した各疎明資料の内容ならびに前記二施設が遅くとも昭和四八年以前に建設されたものであること(《証拠省略》によれば、細江し尿工場は遅くとも昭和四八年以前に、浜名湖競艇場処理施設は同四七年以前に建設されたものであることが認められる。)からして前記認定を妨げるものではない。

《証拠省略》を総合すると、松江市川向処理工場は、荏原インフィルコ株式会社が設計して昭和五一年七月に運転開始したものであるが、昭和五二年三月ころに毒物の混入により硝化菌が影響を受けて硝酸化槽の機能が停止したことがあったこと及び昭和五三年三月ころには返送汚泥の濃度が高いために各曝槽気内の汚泥濃度が上昇したという問題を抱えていることが認められる。(《証拠判断省略》)

しかしながら、毒物混入の点は外部的要因によるもので処理工程に内在する欠陥ではないから、その間の運転を停止するのは当然であるとしても建設を差し止める程の理由とはいえず、汚泥濃度上昇の点は同処理場の設計施行者と本件処理場の設計施行者とが異なること及び本件処理場と同一機構の前記実験プラントの運転結果からして、本件施設にも必然的に生じることとは言えず、従っていずれも前記認定判断を妨げるものではない。

以上の説示に反する債権者らの主張は採用できない。

なお、債務者の昭和五三年二月一四日付準備書面添付の図面によれば、し尿ば必らずしも活性炭ろ過装置を通らなくても放流可能のようにも見え、そうだとすれば重大な問題であるが、これは簡単に設計変更できることがらと思われるので前記判断の資料とはしていない。

(三)  以上認定のように、本件施設は前記保証数値の確保については十分な能力を有するものであるが、他方本件施設の管理体制、運転能力が十分でなければ設計通りの運転ができないことも明白である。

そこで、この点についてみるに《証拠省略》によれば、静岡県富士市の吉原下水処理場(昭和四二年建設、第二次処理までの施設)は、し尿の過剰投入から通常の処理方法では規制内の水質を維持できなくなったため夜間に右規制を三~四倍上回るBODを含む放流水をたれ流し、昼間は規制内の水質を維持して県、市の検査をくぐり抜け続けていたことが認められる。

《証拠省略》を総合すると、浜松市建設公社(理事長は債務者代表者市長)が造成、分譲した瞳ヶ丘団地の下水は同団地下水道の終末処理場において活性汚泥方式により処理される方式で、同処理場の維持管理は同公社より栗田水処理管理株式会社に委託されていたところ、同会社はいまだ同団地の入居者が少なく抜取りが必要な程の余剰汚泥が発生せず、従って実際に余剰汚泥の抜取りをしなかったにもかかわらず、昭和五一年度、五二年度にわたり余剰汚泥の処理費を含む委託費全額を受け取っていたが、同公社は浜松市議会議員有志が昭和五二年八月に右事実を指摘するまでこれに全く気付かなかったことが一応認められる。(なお栗田水処理管理株式会社が余剰汚泥をたれ流ししていたことを認めるに足る疎明資料はない。)

そこで案ずるに、右認定の富士市の闇夜のたれ流しの例とか、前記熊本地裁判決で引用されている処理場での管理不備、運転の未熟さの例からすれば、債務者でも同様のことが起るのではないかとの危惧が生じ得るところ、債務者は本件処理場からの放流水について前記(一)の(4)のような検査体制を取る予定ではあるが、右認定の債務者と密接な関係にある浜松市建設公社が委託費不正取得の事実を発見できなかったこと及び処理能力不足で止むを得ない事情があるとはいえ現在し尿の過剰投入をしていることからすれば、債務者の水質環境保全に対する姿勢は十全なものとはいえず、本件施設の運転、管理体制にも果して予定どおり実行されるかどうか疑問の余地なしとはいえない。

しかしながら、運転、管理体制の不備は施設に内在する問題ではなく、また本件処理場が運転を開始するまでにはまだ相当の時間的余裕があり、その間に整備、充実することが十分期待できるものであるから、その間に整備できなかった場合は操業停止の理由とはなっても、現段階で建設差止めの理由とはなし難い。(なお富士市のような例を防ぐためには、管理体制は被害を蒙るおそれのある者の側にも容易に目がとどき意見を述べられるような機構を組入れることが望ましいであろう。)

なお、付言するに債務者の放流水の検査体制は不十分というわけではないが、本件で問題とされているT―N、NH4―N、PO4、BOD、CODについては少なくとも毎日検査するのが望ましいと思料される。

六、(本件処理場の放流水がカキ養殖漁業に及ぼす影響)

右五で説示したように本件処理場からの放流水中に含まれる各汚濁物質の濃度及び負荷量は一応久保田鉄工の保証数値以下になるものと認められるので、次に右放流水が庄内湾に流入した場合に債権者らのカキ養殖漁業にいかなる影響を及ぼすかを検討する。

(一)  (浜名湖及び庄内湾の地形、海象的特徴)

《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

(1) 浜名湖は周囲約一〇三キロメートル、水域面積約六九〇〇ヘクタール、水容積三億三〇〇〇万トン、平均水深約五メートル、最大水深一五・八メートルの比較的浅い湖で、湖口部は巾二〇〇メートルの通称「今切口」により遠州灘に開口し、それより湖奥に向いては掌指状に広がった汽水湖である。湖岸は複雑で入江に富み、庄内湾もその一つである。

(2) 庄内湾は浜名湖の東部に位置し、東北―西南方向に細長く伸びた巾一・五キロメートル、長さ六キロメートル、水域面積八〇八ヘクタールの入江で、水容積一五八〇万トン、平均水深約二メートル、最大水深七メートル(但し右最大水深の区域は極く一部で大半は三メートル以内)の極めて浅い湾である。本件処理場の放流水が流入する伊左地川の河口は同湾に三分の二程入り込んだ東岸に位置している。また同湾に流入している他の主な河川としては、深奥部に花川が、西岸の庄和町先に協和排水路がある。

(3) 浜名湖は湖奥に深水部があり、湖口が狭くかつ、浅いため湖汐による外洋水の流入が制約されている。従って湖水の循環は悪く湖奥部の湖水は滞留しやすい(後記浅海漁場開発事業がなされる以前の海洋水による年間湖水置換率は一二・三%であった。)。

なお、浜名湖に流入する河川はいずれも小河川で、その水質は後述のように湖水の水質に大きな影響を及ぼしているが、その水量は湖汐に比べるとほとんど無視してよい程度である。

庄内湾もそれ自体半閉鎖型であるため概して(特に湖奥部の)湖水の循環は悪く、湾内の水が庄内湾外に出るのに、後述の両作澪事業後の外洋水の流況で、最奥部の湖水は二年、伊左地川河口の湖水は三ヶ月かかると計算されている(疎乙第一六号証、但し、同号証も右計算は多くの仮定に基づくもので断定はできず、湖奥と伊左地川河口の湖水の循環状況の比較程度に使用して欲しいとしている。)。

従って、浜名湖北部(湖心部)は湖口部に比べ塩分濃度が低く、水温も季節の影響を受けて容易に変化し、特に夏期には水温の差による成層ができて四メートル以深では無酸素状態となり硫化水素が発生する。この成層は九月中旬頃上層と下層が入れ換わり、その際苦潮現象を呈する。また春、秋には植物プランクトンが大増殖し、いわゆる赤潮がほとんど毎年のように発生している(なお、赤潮は水の循環が悪く、窒素、リン等の栄養塩類が豊富に存在し、かつ日照量の多い日が続いて水温が高まるなどの条件が重なった場合に発生する。)。

庄内湾は他の水域よりも内陸的影響が強く、従って塩分濃度も低いため降雨時の濁水、淡水化の影響が他所よりも強い(疎甲第二七号証、但し、同号証は後記両作澪事業が行なわれる以前に作成されたものであるので、現在は両事業によりある程度影響を受ける度合が低くなっているものと推測される。)また最奥部では日照量の大きな夏季には水温成層が形成され底層で硫化水素が発生することもあった。

(昭和四三年の水質調査では、塩分濃度は、湖口部一六・一三~一九‰(パーミル、千分の一を意味する)、湖心部は一二・五~一七・七六‰、庄内湾の白洲は一二・六一~一五・四二‰であり、表層の水温は、湖口部は最高二八・四度(摂氏―以下同じ)、最低八・二度、湖心部は最高三〇・八度最低四・八度、白洲は最高三一・九度最低四・四度であった。)

(4) なお静岡県により、昭和四五年度から四七年にかけて、浜名湖の漁業振興のため外洋水の流入を増加させるべく浅海漁場開発事業が行なわれた。その結果は右事業以外の碇瀬等の作澪工事の好影響とあいまって、浜名湖全体の外洋水の流入量は以前の一・五三倍となり、なかでも庄内湾への流入量は特に増加が多く以前の一・五~二・五倍となり、浜名湖全体の漁場は拡大した。但しカキ養殖漁業への影響は明らかでない。(なお、昭和四九年四月から同五〇年三月までの表層から〇・五メートル下の水質調査では、塩分イオン濃度は、湖口部は一五・四三~一八・六‰、湖心部は一二・八五~一七・一三‰、庄内湾は一一・三四~一六・六六‰であり、水温は、湖口部で最低一三・五度、最高二八・一度、庄内湾で最低五・三度、最高三〇・三度であった。)。

さらに、昭和四九年から同五一年にかけて、浜松市等によりエビ、カニの増殖を図るため浜名湖地区漁場造成事業(「大瀬」を浚渫し澪を造成)が行なわれ、その結果庄内湾深部にまで海水交流が行なわれるようになった。

以上の(1)ないし(4)の事実を要約すると、浜名湖湖心部及び庄内湾はその性質上湖水の循環が悪く陸地の影響を強く受ける。従って夏季には高水温となり、苦潮、又は赤潮が発生している。なお浅海漁場開発事業が行なわれ外洋水の流入量は増大したが、水温、塩分濃度の水域差(即ち右の性状)についてはあまり変化がみうけられていないということになる。(浜名湖地区漁場造成事業により庄内湾の海水の循環はある程度増加したと推認されるが、後記認定のような汚濁が新たに加わることにより庄内湾の水質は結果的には良くなっていない。)

(二)  (庄内湾の水質変遷及び現在の水質)

《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

(1) 静岡県では昭和四七年に県条例により公害対策基本法にもとづく環境基準への上乗せ基準を制定したが、同条例によれば、庄内湾のうち白洲以奥は海域B類型、それ以外は海域A類型とされ、具体的にはB類型はPH七・八~八・三、COD三ppm以下、DO濃度五ppm以上、n―ヘキサン抽出物質検出されないこと、A類型はPH七・八~八・三、COD二ppm以下、DO濃度七・五ppm以上、大腸菌群数一〇〇〇MPN/一〇〇ミリリットル以下、n―ヘキサン抽出物質検出されないことと規定されている(B類型では大腸菌群数の定めなし。以下この数値を基準値ともいう。)。

(2) 庄内湾に流入している主要河川の一日当りの水量は株式会社環境工学コンサルタント(以下環境コンサルタントという)の行なった昭和五二年五月一一日の調査によれば、花川は七万八〇〇〇立方メートル、伊左地川は二万六〇〇〇立方メートル、協和排水路は九〇〇〇立方メートルであり、その他の沿岸の生活排水とあわせると一日当り合計約一一万五〇〇〇立方メートルの水が庄内湾に流入している。

そして、これらの河川等により庄内湾に運び込まれる汚濁物質の量(( )内は濃度)は同社が行なった昭和五二年五月五日及び一二日の調査(但し、生活排水については沿岸の人口分布から統計資料を用いて算出したもの)によると、一日当り、CODは花川が二一〇・六キログラム(二・七ppm)、伊左地川が七二・八キログラム(二・八ppm)、協和排水路が四一・四キログラム(四・六ppm)、その他の生活排水が二三六・一キログラム(一〇三・五ppm)で合計五六〇・九キログラム、T―Nは花川が三四三・二キログラム(四・四ppm)、伊左地川が五四・六キログラム(二・一ppm)、協和排水路が二三・四キログラム(二・六ppm)、その他の生活排水が四六・六キログラム(二〇・四ppm)で合計四六七・八キログラム、T―Pは花川が五〇キログラム(〇・六四ppm)、伊左地川が七・八キログラム(〇・三ppm)、協和排水路が五キログラム(〇・五五ppm)、その他の生活排水が一四・二キログラム(六・二三ppm)で合計七七キログラムである(伊左地川のT―N負荷量は当事者間に争いがない。)(なお、右数値はわずか二日間の調査に基づくものであるから一つの目安として考えるのが相当である。)

なお、伊左地川について昭和五〇年四月から同五一年三月まで行なわれた調査によれば、同川の中野谷橋での平均水量は三万五〇〇〇立方メートルで、BOD平均一・六ppm(一日当り負荷量五六キログラム)、COD平均二・八ppm(同九八キログラム)、SS濃度平均一一ppm(同三八五キログラム)である。

(3) 環境コンサルタントが昭和五二年五月五日及び同月一二日に行なった庄内湾のPH、DO、COD、T―N濃度、PO4―P濃度の実測結果によれば(数値の記載は複数の観測点における測定数値を各水域毎に「最小~最大」で示す。)、PHは海域で七・四~八・七(基準値より若干上下に出ているがほぼ範囲内)、河口水域で七・一~八・七、DOは海域で三・一三~一二・二ppm(基準値以下の水域は河川の河口付近の海域で、その他の海域は基準値以上)、河口水域では三・六~九・〇二ppmであった。

CODは雄踏水域では五日の高潮時に〇・八~二・六ppm、低潮時に一・二~二・二ppm、一二日の高潮時に〇・四~四・四ppm、低潮時に一・〇~六・八ppmであり、白洲水域では五日の高潮時に一・五~二・〇ppm、低潮時に二・三~二・八ppm一二日の高潮時に一・二~二・九ppm、低潮時に〇・七~二・八ppmであって、白洲水域ではいずれも基準値内であり、雄踏水域では平均値でみれば白洲町先端の埋立地先を除き基準値内であるが、低潮時には同埋立地先、協和排水路の流入先及び湖心が基準値を上回っている。

T―N濃度は海域では〇・五三一~二・五一三ppm(内訳は、K―N〇・〇一二~〇・〇七二ppm、NO3―N〇・五~二・四ppm、NO2―N〇・〇〇六~〇・〇七六ppm、NH4―N〇・〇〇一未満~〇・〇〇九ppm)であるが、河川の河口では一・一九七~四・三三九ppm(内訳は、K―N〇・〇三五~〇・一一六ppm、NO3―N一・一~四・一ppm、NO2―N〇・〇四~〇・一七五ppm、NH4―N〇・〇〇五~〇・〇三八ppm)である。

PO4―P濃度は、海域では〇・〇七~〇・一九ppm、河川の河口では〇・一一~〇・六四ppmであった。

(4) 庄内湾の白洲先(海域B指定)及び雄踏先(海域A指定)の昭和四三、四四年度、及び四七ないし五一年度までのCOD、N(但し、ここではNH4―NとNO2―Nのみの和)濃度、P濃度、NH4―N濃度、NO2―N濃度、NO3―N濃度は別紙白洲、雄踏の水質測定結果集計表記載のとおりであるところ、白洲先の年間平均CODは昭和四七年(表層で四・一ppm、底部で六・〇ppm)、昭和四八年(表層で三・四七ppm、底部で二・五七ppm)を除けばいずれも基準値三ppm以下であり、雄踏先の年間平均CODは昭和四七年度の底部(表層で一・七三ppm、底部で二・〇七ppm)を除けばいずれも基準値二ppm以下である。

白洲先のN濃度は昭和四三、四四年度に比べると昭和四七年以降は全体に上昇しており、昭和五〇、五一年度では昭和四三、四四年度の二倍弱になっている。なお、昭和四七年度が最高濃度(表層で年間平均約一四九ppb)である。白洲先のNH4―N濃度は昭和四三、四四年度の記録がないのでそれとの比較はできないが(なお、《証拠省略》によれば昭和四一年九月から同四二年八月にかけてはほとんどの月が数ppbであることが認められる。)、昭和四七年度(年間平均一一三・六ppb)を最高に、昭和五〇、五一年度はそれに近づく数値となっている。なお、白洲先の昭和五一年度のNH4―N濃度は九二・八ppb、NO2―N濃度は二六・二ppb、NO3―N濃度は一三七・一ppbでT―N濃度(右各濃度の合計)は二五六・一ppb(いずれも表層の年間平均)である。

雄踏先のN、NH4―N濃度は昭和四七年度以降の記録しかないが、昭和四七、五〇、五一年度が高い数値を示している。なお雄踏先の昭和五一年度のNH4―N濃度は一〇三・五ppb、NO2―N濃度が二〇・四ppb、NO3―N濃度が六二・六ppbでT―N濃度(右各濃度の合計)は一八六・五ppb(いずれも表層の年間平均)である。

白洲先のP濃度は、各年度の変化が激しく、最高は昭和四七年度(表層の年間平均二〇ppb)で最低は昭和四八年度(年間平均〇ppb)である。そして、その後は次第に増加する傾向があり昭和五一年度は表層で年間平均一六・五八ppbであり昭和四三年度の約一〇倍となっている。

雄踏先のP濃度は昭和四七年度以降の記録しかないが、昭和四七、五一年度が高く(時に底層が異常に高い)、昭和四八年度が最低で年間平均〇ppbである。なお、昭和五一年度の年間平均は表層で五・九二ppb、底層で一四・〇八ppbであった。

(5) 庄内湾の雄踏先、白洲先及び伊左地川末端の昭和四七年から五一年までの一月、四月、七月、一〇月の(四七年のみ一月の記録なし)DO、COD、P濃度は別紙DO、COD、Pの経年変化表記載のとおりである。

DOは、雄踏先では昭和四七年四月、七月、一〇月、同四九年一〇月、同五〇年四月、一〇月、同五一年四月、七月(測定月総数の一九分の七)が基準値七・五ppm未満であった。そして白洲先では全てが基準値五ppm以上であった。また雄踏先と白洲先とを比較するとほとんど白洲先の方が高い数値を示している。白洲先と伊左地川末端とでは概して伊左地川末端の方が高い数値を示している。

CODは概して雄踏先、白洲先、伊左地川末端の順で高くなり、伊左地川末端では春、夏に高く(梅雨による流入量増加の影響と思われる)、白洲先、雄踏先では夏に高い。(プランクトンの増殖の影響と思われる。)

Pは検出されないことが多いが、検出された場合は高い濃度を示している。

(6) 白洲先における昭和四一年度と昭和五〇年度の塩素量、DO、COD、NH4―N濃度、NO2―N濃度、PO4―P濃度、水温の測定記録は別紙庄内湾の水質の変化記載のとおりである。

両年度を比較すると、塩素量は昭和五〇年度の方が若干低いが、DO、COD、PO4―P濃度はほとんど変化がない。しかしNH4―N濃度、NO2―N濃度は昭和五〇年度が大きく増大(NO2―N濃度は年間平均値で三倍)している。

(7) 別紙底質の汚濁実測分布図中のA、B、Cの各地点(伊左地川河口より順次沖合に至る)及びD(平松町先)、E(白洲町先)、F(雄踏町先)の各地点の底泥の分析結果(A、B、Cの各地点は昭和五二年五月五日の調査、D、E、Fの各地点は昭和四三年九月及び昭和四四年三月の調査)は同分布図に記載のとおりである。

A、B、Cの各地点をみると、CODは順に四六・〇→三二・三→二九・六mg/g、全硫化物は一・五八→一・〇七→〇・五一mg/gT―Pは一・五四→〇・七三→一・一mg/gとなっており河口から沖合に向って低下している。

D、E、Fの各地点をみると、昭和四三年九月がCODは順に二九・五六→二七・八九→一一・六〇mg/g、全硫化物は〇・五四→〇・六九→〇・一〇mg/g、昭和四四年三月がCODは三六・四三→三四・八七→六・三八mg/g、全硫化物は〇・六〇八→〇・四一六→〇・一三mg/gとなっており、湖奥から湖口に向って低下している。

(8) また庄内湾では後記認定のように赤潮又は苦潮が発生しているほか、最近では湖中央部から湖口にかけてはアオサが増殖しているのに湖奥部ではそれが見られないとか、あるいは逆にホトトギスガイ、カンザシゴカイは湖中央部から湖奥部にかけて増加したりする現象が現われている。

(9) なお、日本水産資源保護協会編の「水産環境水質基準」によれば、暖流系の内湾、内海域では連続、長期にわたる赤潮の発生を避けるためには、無機Nが九八ppb、無機Pが一四ppb以下であることとされている。また植物プランクトンの増殖にはC、N、P、がそれぞれ一〇六対一六対一の割合で使用されるところ、庄内湾白洲先の表層におけるN、Pの割合は昭和五一年は三四対一であった。

また、京都大学の吉田助教授は海域の栄養階級を腐水域、過栄養域、富栄養域、貧栄養域とに分類することを提言しているが、その分類の指標としては、富栄養域ではCODが一~三ppm、無機態N化合物が二~一〇μgat・N/l(約二八~一四〇ppb)硫化水素は認められず、底質中の硫化物は〇・〇三~〇・三mg/gとして、過栄養域ではCOD三~一〇ppm、無機態N化合物が一〇~一〇〇μgat・N/l(約一四〇~一四〇〇ppb)、硫化水素が数メートル以浅域では認められず数メートル以深域では底層に認められる、底質の硫化物は〇・三~三mg/gとしている。

(10) 庄内湾沿岸の主産業は農業、漁業、畜産であり、水田、養鰻池が多くて工場は少ない。しかし、近年は住宅地の開発が盛んであり、昭和四六年から四八年にわたって湖東団地が、昭和四九年度には瞳ヶ丘団地が昭和四〇年及び同四八年から四九年には西山団地が、昭和四七年には緑ヶ丘団地がそれぞれ造成された。

(11) 浜名漁協では漁場環境保全を目的として浜名湖岸域に排水する各事業主と水質基準協定を結んでいるが、同協定の各汚濁物質の排出基準は債務者主張のとおりであり、本件処理場の放流水はCOD、SS、NH4―N濃度において右基準値を上回っている。

また「浜名湖の水をきれいにする会」では年一回、浜名漁協のり研究会では年二回の工場パトロールを行ない水質汚濁防止活動を行なっている。

以上、庄内湾の水質の変化を各資料から拾い出してみてきたのであるが、なにぶん資料の乏しいこと、資料自体にも調査期間が短かく確実性に欠けるものがあること、資料相互間にも齟齬があること(調査の方法、場所、日時等が異なるためと思われる)などから、前記認定の各数値からは庄内湾の水質及び経年変化について詳細に認定することは困難であるが、おおむね次のようにいうことができる。

PH、DOはおおむね基準値を満足している。

CODは夏期には基準値を超えることがあるが、それ以外は基準値を満足している。但し、雄踏先は白洲先より基準が厳しいため、数値自体は低くても基準値を超える回数は多い。またCODはここ一〇年来あまり変化していない。

T―N、NH4―N濃度は一〇年前に比較すると確実に大きく上昇しており、昭和四七年以降は上昇安定型を示している。そして、その濃度を確定することはできないが、貝類における安全濃度の限界であるNH4―N濃度二~三ppmにはほど遠く、赤潮連続長期発生を避けるための無機N濃度九八ppbよりは大部上回っているものといえる。

PO4―P濃度は各年により又、同じ年でも各月により変化が激しく、一定の傾向はみうけられないが、おおむね赤潮長期連続発生を避けるための無機P濃度一四ppb以下である(但し直近の昭和五一年度は右数値を超えている。)

そして庄内湾ではPの量が少ないことが赤潮の長期連続発生の歯止めになっている。

また年度比較をすると、昭和四七年度は他の年度に比べてCOD、N濃度、P濃度が異常に高い。

そして庄内湾のなかでも湖奥部及び河川の河口とその他の海域とでは水質が異なり(前記認定のように湖奥部と伊左地川河口とでは大幅に湖水の循環量が異なること及び河口は流入河川により陸地より汚濁物質が運ばれてくることによるものと推認される)、湖奥部及び河口はいわゆる過栄養域、その他の海域は富栄養域に入るものである。

ところで、庄内湾が右のような水質であるのは、昭和四五年に水質汚濁防止法が制定されたこと、同四七年に条例でその上乗せ基準が定められたこと、浜名漁協と各事業主との排水協定締結、漁民らの沿岸パトロール、前記各作澪事業等の効果であると考えられる。そして水質汚濁防止法や県条例には規制がないが、水質汚濁の面では重要な要素である窒素の増加は、吉野養豚団地等の沿岸事業所からの排水とか、各沿岸家庭の生活向上及び、団地造成による生活排水の増加によるものと考えられる。

なお、庄内湾で長年にわたりカキ養殖を続けていることは、カキ養殖が後記認定のように少なくとも昭和三六年以前より行なわれていること、養殖方法が給餌ではないこと、及び庄内湾での養殖は冬期のみであることなどから、窒素増加の主要因とは考えられない。

(三)  (本件処理場の放流水の流入による庄内湾の環境変化予測)

(1) 前記六の(二)の(2)記載の環境コンサルタントの調査に基づく庄内湾の現在の汚濁負荷量に本件処理場の放流水に含まれる汚濁負荷量を加算すると、伊左地川の流量は一日一二万一四〇〇立方メートルになり約五・六%、CODは一日当り六二四・五キログラムになり約一一・三%、T―Nは一日当り五三一・四キログラムになり約一三・六%、T―Pは一日当り七九・一キログラムになり約二・八%増加することになる。

(2) 《証拠省略》によれば次の事実が一応認められる。

環境コンサルタントが庄内湾の海水の流況、現在の水質及び流入汚濁物質負荷量等から科学的に分析した庄内湾の放流水流入による環境変化予測によれば(白洲、雄踏の各数値の下の( )内は、別紙白洲、雄踏の水質測定結果集計表の昭和五一年度の表層平均濃度に対する割合である)

(イ) CODは伊左地川河口で〇・一三ppm増加する。そしてCODが〇・一ppm以上増加する水域は伊左地川河口周辺の約四〇ヘクタール(庄内湾全域の約二〇分の一)であり、湖奥部では〇・〇六ppm、白洲では〇・〇八ppm(約三%)雄踏では〇・〇二ppm(約一%)増加する。

(ロ) 塩分濃度は伊左地川河口で〇・一四‰下降する。そして同濃度が〇・一‰以上下降する水域は伊左地川河口周辺の四五ヘクタール(庄内湾全域の約一八分の一)であり、湖奥部では〇・〇七‰、白洲では〇・〇八‰、雄踏では〇・〇一‰下降する。

(ハ) T―N濃度は伊左地川河口で一七〇ppb上昇する。そして、同濃度が一三〇ppb以上上昇する水域は伊左地川河口周辺の四五ヘクタールであり、湖奥部では八〇ppb、白洲では一〇〇ppb(約三九%)、雄踏では二〇ppb(約一二%)上昇する。なお、高潮時、低潮時の平均の上昇T―N濃渡を各水域毎に示すと、別紙、T―N濃度分布図のようになる。

(ニ) T―P濃度は伊左地川河口で三・九四ppb上昇する。そして同濃度が三ppb以上上昇する水域は伊左地川河口周辺の四五ヘクタールであり、湖奥部で一・八四ppb、白洲で二・三八ppb(五一年度に対し約一四%、五〇年度に対し約七二%)、雄踏で〇・四三ppb(五一年度に対し約一六%、五〇年度に対し約三二%)上昇する。なお、高潮時、低潮時の平均の上昇T―P濃度を各水域毎に示すと、別紙T―P濃度分布図のようになる。

(ホ) また、伊左地川流水の庄内湾海域への拡散範囲は「海水加入による初期混合」と考えて計算すると四三ヘクタールとなる。

とされている(なお、右数値は伊左地川の自浄作用は考慮せずに計算されたものである。)

(3) 右の各事実及び前記六の(二)の(4)の事実を総合すると、CODは、各地点毎に、現在の数値に右の増加分を加えた数値から判断するにほぼ基準値以内に納まるものと推測される。PHは放流水のそれが六・五~八・五であること及び放流水と庄内湾の各水量の容積比(約一対二四六九)から庄内湾のPHにはほとんど影響を与えないものと推測される。

従って、本件処理場の放流水が庄内湾に流入してもCOD及びPHに関しては庄内湾の水質はほぼ環境基準を超えないものと推測される。

(四)  (債権者らのカキ養殖形態及びカキと水質の関係)

《証拠省略》によれば一応次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる疎明資料はない。

浜名湖の天然カキは主として鉄橋を中心とする南北両側の海面に繁殖し、湖中部、湖奥部には繁殖しないが、これは湖中部以北は前記認定のように潮水の疎通が悪くかつ、降雨時長期間塩分濃度が低下するなどの悪条件があるからである。

浜名湖におけるカキ養殖漁業は舞阪地区鉄橋付近(採苗及び主として夏期の育成)、新居地区鉄橋付近(主として採苗及び育成)及び庄内湾(秋期より冬期に至る身入れ)を中心として行われ、それぞれ( )内掲記の重要な役割を果している。

カキ養殖漁業は六~八月の採苗に始まるが、これはカキ殻を連ねた附着器にカキの稚貝を附着させるもので主に第一鉄橋下の水道流域を使用する(なお浜名湖では種苗が不足するため相当数の種苗を宮城県等から移殖している。)次に八月下旬から秋にかけて、この種苗を新たな針金に差し替えて養殖連を作り、これを翌年秋まで鉄橋下水道流域付近、雄踏地先、鉄橋南側の澪筋に沿う浅瀬に設置した養殖棚に垂下してカキの育成をする。そして秋期天候の安定を待って順次庄内地区等に移して身入れをする。なお春から夏に移殖しないのは夏季の高水温や水質の悪変による被害と降雨に基く塩分濃度低下による被害を避けるためである(浜名湖のカキ養殖漁業の形態が移動養殖であることは当事者間に争いがない。)。(なお、右認定の事実中具体的な養殖地名は昭和三四年ころのもので現在では多少変動があるかもしれない。)。

《証拠省略》によれば、カキの受精、幼カキの生長には水温と塩分濃度が大きく影響するところ、高率の受精を得るためには水温は一五~三〇度C、塩分濃度は一二・一~一七・三‰が適切であること、カキは海水中のカルシウムイオンを直接吸収して貝殻を形成するところ、殻は春から夏に良く生長すること、カキの身入れには餌料プランクトンが豊富に存在する必要があること及びNH4―Nの貝類に対する安全濃度は二~三ppm以下でCODの魚介類一般に対する安全濃度は五ppm以下であることが認められる。

また《証拠省略》によれば二枚貝類は前述のいわゆる過栄養初期の水域で一番多く繁殖することが認められる。

右の各事実からすればカキの養殖には塩分濃度と水温が大きく影響し、栄養塩類は他の生物に比較すると多い方が良いが、他面NH4―N濃度は二~三ppm以下、またCODは五ppm以下である必要があり、浜名湖のカキ養殖業は各水域の環境の違い(庄内湾について見ると同湾は身入れに最適な富又は過栄養域であるところ、身入れ期間の冬は水温が下がり赤潮、苦潮による水質汚濁のおそれがなくなる)を巧みに利用して営んでいるものということができる。

(五)  (庄内湾の水質とカキ養殖被害)

(1) 《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

カキ養殖業者数は昭和三六年に二二一名であったところ、昭和三九年には二八〇名と増加したが昭和四五年には一六四名に激減し、その後は別紙カキの生産量経年変化表(1)記載のように漸減しており、昭和五〇年は一三八名となった。

カキの生産水域は昭和四五年以降は同表(2)記載のように全体としては変化していないが各地区毎にみると舞阪地区(九〇・一→七七・六万平方メートル)、新居地区(二八・九→二五・三万平方メートル)が減少し、雄踏地区(一〇・一→一三・三万平方メートル)、白洲地区(一二・七→一七・九万平方メートル)が増加している。

カキのむき身の生産量は同表(3)記載のとおりであり、他の年度(それらの平均は約二六七トン)と比較して昭和四七年(一七九・三トン)、四八年(一二三・三トン)、四九年(二一一・七トン)が低い。しかし、昭和四八年は殻付生産量(四八年は一二〇八トン、なお四七年は五〇〇トン、四九年は六四〇トン)ではそれほど低くない(即ち昭和四七、四九年は斃死が多く昭和四八年は身入りが悪かったものと推認される。)。

カキの単位面積当りの生産量は同表(4)記載のとおりであり、全体としては、昭和四八年が最低(昭和四五、四六年の半分以下)で、その前後の昭和四七、四九年が低く、昭和五〇年にはほぼ回復している。しかし個別にみると、雄踏、白洲、湖西、気賀、三ヶ日地区は回復が遅いが、舞阪、新居地区は回復が早い(生産水域の増減とは逆になっている。)。

(2) 《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

浜名湖では、昭和四四年以前にも、水質汚濁による養殖カキの死亡、生育阻害は多かれ少なかれ毎年起こっていた。

特に昭和四二年は湖北部で東名高速道路の工事が行なわれ、そのセメントあく流入による直接斃死に加え、一〇月には本湖全域で赤潮が発生して養殖カキは大量に斃死した。この時は庄内湾湾奥部の平松先及び湾中央部の白洲先でも約八〇%のカキが斃死した。

その後もほとんど毎年細江、三ヶ日、松見浦、館山寺内海、新川河口付近、競艇場付近等のどこかで、赤潮、廃水汚濁、農薬等によるカキの斃死が起きている。

庄内湾においては、昭和四三年一〇月二一日(同年の九月の快晴と晴の日の日数の和は一八日、以下( )内の日数は同様の趣旨である)ころ湾中央部において、昭和四四年九月(一一日)ころ(場所は特定不能)、昭和四五年九月一五日(一四日)ころ村櫛先において、同年一〇月ころ湾中央部においてそれぞれ赤潮が発生しカキを弊死させた。また昭和四六年一〇月(一二日)に湖奥部の平松先で赤潮によりカキが斃死した。なお、この時は養殖連に硫化水素臭があった。

昭和四七年(二一日)は九月末から一〇月にかけて浜名湖全域において赤潮が発生してカキは大量に斃死した。この時は庄内湾においても平松先及び白洲先でそれぞれ約八〇%のカキが斃死した。(但し、疎甲第一〇五号証は同年の斃死は極めて不可解で、カキに付着していたアコヤガイの害敵生物が斃死に大きく影響しているのではないかと推察している。)

昭和四八年(八日)には、九月一〇日ころ湖奥部において、一〇月ころ白洲先において赤潮が発生し、平松先では六〇%のカキが斃死した。この年には自衛隊基地及び吉野養豚団地からの排水により、また九月又は一〇月ころには古人見付近で団地の排水汚濁(これは昭和五一年まで続いた)によりカキが斃死した。

昭和四九年(一〇日)には、九月に白洲先で、一〇月に湾奥部、白洲先、古人見付近、庄和町先、村櫛先で赤潮が発生しカキが斃死した。

昭和五〇年(二〇日)には、九月に白洲先、佐浜先で、一〇月五日ころ平松先で、一〇月一〇日ころ庄内湾全域で赤潮が発生し、白洲先で九〇%、平松先で八〇%のカキが斃死した(しかし債権者らはこの年は移殖をやり直すことにより従前の生産量を確保した。)。

また昭和五一年は、二月中旬に赤潮が発生し、一〇月二日(一五日)ころには苦潮が発生した。

また最近三~四年花川河口付近のカキ棚は使用されたことがない。

なお赤潮の原因である植物プランクトンは約一週間で死滅するが、湖水の流通が悪い場所ではその死がいが湖底に沈降してそこで細菌により分解される。その際細菌は水中の酸素を消費するので、湖水の上層と下層の混合がない場合には底層に貧又は無酸素水塊が生じる。この水塊は水深の浅い所では水温変化のほか吹送流によっても逆転し、表層及び中層の生物に被害をもたらす。

(3) 《証拠省略》によれば一応次の事実が認められる。

債権者らは従来より庄内湾の水温が下がり赤潮が発生しなくなるのを待って養殖カキを庄内湾に移動していたのであるが、平松地区、白洲地区の昭和三二年から昭和五二年までのカキ移動初日は別紙養殖カキ移動初日の変化表記載のとおりである。同表をみると、平松地区は従前は遅くとも一〇月一日までに移動していたところ、昭和四七、四八年は例年通りの移動初日に移動を行い大量斃死が起き、その後昭和四九年からは急に移動初日が遅くなり、昭和五二年は一〇月一〇日となった。

また白洲地区は従前は遅くとも九月二五日までに移動していたところ、昭和五〇、五一年と移動初日九月二五日が続き(但し、五〇年は大量斃死が起きた)、五二年は同月二六日となるなど若干移動初日が遅くなる傾向が見られる。その結果、平松地区と白洲地区の移動初日の差は従前は約一週間位であったが、最近は約二週間位となっている。

なお、カキの身入れを十分させるためには遅くとも一〇月二〇日までにカキの移動を完了する必要がある。

また、白洲、平松地区のカキの移動初日と九月の快晴と晴の日の日数の和の相関関係は別紙九月の日照日数とカキの移動初日の関係表のとおりである。同表をみるに、カキが大量斃死したとかアナサが異常発生したとの特殊な年を除けば、両地区とも、近接した年度を比較すると日照日数の多い年の方が移動初日も遅く、日照日数の同じ年どうしを比較してみると最近の年の方が移動初日が遅くなっており、平松地区の方がその遅くなる期間が長いという傾向をみることができる。

(4) 債権者らはカキの斃死に対処するためカキの作付連数を多くしたり、昭和四八、四九年ころからはカキ船を低馬力木造船から高馬力プラスチック船に取り変えたりしてカキの移動期間を短くしたりする等の努力をしている。

(5) 右の各事実及び前記(二)で認定の事実を総合すると次のようにいうことができる。

浜名湖及び庄内湾の赤潮は、昭和四二年を例外として、昭和四六年までは局所的な小規模なものであり、庄内湾においては湖奥部で発生することが多かった。なお昭和四六年、同五一年には湖奥部で、浅水域にはめずらしい苦潮の発生があり、底質汚濁の進行が窺われる。

ところが昭和四七年は、庄内湾の窒素、リン等の栄養塩類の濃度が異常に高かったうえに、九月の日照日数も二一日と多い悪条件が重なったところ、カキの移動初日も早かったためカキ養殖業者は浜名湖全域にわたる赤潮の発生によって大被害を蒙むった。

次の昭和四八年は九月の日照時間が八日と少なかったこともあり赤潮による被害は前年程ではなかったが、こんどは逆に栄養塩類(特にP)の濃度が低かったため身入りが悪かった。

そして昭和四九年、五〇年度はもはや庄内湾全域に赤潮が発生するようになった。

またカキの移動は遅くとも一〇月二〇日までに完了する必要があるところ、庄内湾の汚濁の進行に伴って移動初日が遅くなったが、特に平松地区ではその傾向が強い。そして昭和五一、五二年(同年は日照日数的には平均的な年である)の移動初日は平松地区では一〇月一〇日ころ、白洲地区では九月二六日ころであり、白洲はその移動日数の変動幅からみて移殖限度の一〇月二〇日にはまだ余裕があるが、平松地区はカキの移動に要する日数及び今後、昭和四七年のような日照日数の多い年がある場合のことを考えるとこれ以上の汚濁進行はカキ養殖にとって危険である。

そして、庄内湾の内で最も汚濁の進んでいる花川河口では現にカキの養殖は不可能となっている。

債権者らは右の事態に対処するため作付連数を多くしたり、カキ船を高速化させる等の労力、資本の投下を余儀なくさせられている。

なお、湖水の流通の悪い所では水質汚濁は悪循環を繰り返して次第に進行していくものである。

(六)  (カキ養殖漁業の被害予測)

右の(一)、(四)、(五)の各事実から本件放流水の庄内湾流入によりカキ養殖漁業が蒙るおそれのある被害を拾い出すと、水質汚濁(NH4―N濃度の上昇、CODの増加)による被害、塩分濃度低下による被害及び塩分濃度低下に付随するカンザシゴカイ、ホトトギスガイ大量発生による被害、苦潮の範囲拡大による被害、赤潮の水域拡大による被害及び晩秋にも赤潮が発生するようになることに付随するカキ移動初日の遅れによる被害が一応考えられる。

そこで次に右の各被害が発生する可能性を前記認定の六の(一)ないし(五)の事実を基にして検討する。

(1) (水質汚濁)

本件放流水はまず伊左地川に入って希釈(但し、SS濃度は放流水の方が少ない)された後、庄内湾に流入して、そこで海水と混合することにより、さらに希釈される。その結果伊左地川河口では前記認定のように、CODはおおよそ〇・一三ppm増加するので、右数値を現在の伊左地川河口のCOD数値(別紙DO、COD、Pの経年変化表中の伊左地川末端のCOD数値)に加えた結果から判断すると同地点でのCODは、ほぼ四ppm以内(魚介類に直接影響を与えるのは五ppm)におさまると一応推測される。また同地点でのT―N濃度はおおよそ〇・一七ppmと大きく上昇するが、このうちNH4―N濃度は約三分の一(約〇・〇五六ppm)であり、その濃度が現在の庄内湾のNH4―N濃度(白洲先での過去昭和五一年度までの最高濃度で〇・四五一ppm)に加わってもNH4―Nは貝類に直接影響を与える濃度である二―三ppmには到底至らないものと推測される。

そして、伊左地川河口での上昇値により右のように推測されるのであるから、同地点より上昇値の低いその他の地点では一層右のように推測される。

(2) (塩分濃度低下)

カキの養殖に適する塩分濃度は一二・一~一七‰と幅広いところ、昭和五〇年九月から同五一年八月までの白洲先の塩分濃度が七~一六・六‰(平均一一・九‰)で、そのなかでもカキの身入れに利用する秋・冬期(九月~一二月)は高い(一一・九~一五・五‰)数値を示している(別紙庄内湖の水質の変化)ことから判断すると、本件放流水の流入による塩分濃度低下(伊左地川河口でおおよそ〇・一四‰)はカキ養殖業にはほとんど影響を及ぼさないものと推測される。

また現在の塩分濃度に対する低下塩分濃度の割合(右の平均値に対して一・一八%)から、右塩分濃度低下の影響によりカンザシゴカイ、ホトトギスガイが大増殖する蓋然性は低いものと一応推測される。

(3) (赤潮及び苦潮)

赤潮発生の条件の一つであるT―N濃度は本件放流水の流入により現在の濃度に比較しても大きく上昇する。赤潮の連続長期発生を防ぐための限界数値は九八ppbとされているのに白洲先では上昇分だけで一〇〇ppbである。また同じく条件の一つであるT―P濃度もかなり増加する。赤潮の連続長期発生を防ぐための限界数値は一四ppbとされているところ、白洲先では二・三八ppb上昇する。

ところで、庄内湾のT―N濃度は既に赤潮発生に対する限界濃度を大きく超えており、これまではT―P濃度がT―N濃度に対し比較的少ないことから赤潮の発生回数及び発生規模が制限されている面があったが、しかし、それも最近では庄内湾全域に赤潮が発生しだしている現状にあるところ、右のようにT―N濃度は一層上昇し、T―P濃度も小幅ながら上昇し、しかもT―Pは今後恒常的に流入するのであるから湖奥部及び白洲先においては他の気象条件にもよることではあるがこれまで以上に容易に赤潮が発生するようになるとともに、その規模も大きくなるであろうと一応推認される。

他方、雄踏においてはT―N濃度の上昇は二〇ppbで、T―P濃度の上昇は〇・四三ppbでありいずれもわずかな上昇であるから濃度上昇の影響が皆無とは断定できないが、同地先での赤潮の発生回数及び発生規模に影響を及ぼすおそれが多いとは推測されない。

なお、債権者らは水温低下による赤潮の不発生を待ってカキの移動を開始するのであるから、赤潮が発生しやすくなっても、観念的には移動初日を遅らせば足りる(移動初日の問題については後述)のであるが、実際は移動開始時期の判断が困難となるところに、早期に出荷するため早く身入れを開始したいとの心理が働くのが通常であろうから、移動初日の判断を誤り赤潮の被害を受ける事例はこれまでよりも増えることが一応予測される。

苦潮は現在は数年おきに湖奥部で発生しているだけであるが、湖奥部においては右のように赤潮の発生が増加することにより一層底質が悪化し、苦潮の出現頻度が高くなるものと一応推認される。

しかし、白洲先、雄踏先は湖奥部に比べはるかに湖水の循環が良く、従って死滅したプランクトンが沈澱せずに本湖に搬出される可能性が高く、かつ、水深が浅く流量が多いので無酸素水塊が生じる可能性が低いので、同所においては今後苦潮が発生するようになる蓋然性は低いものと推測される。

なお、底質汚濁は進行性を有しているので、伊左地川河口(河口の形状はいく分奥に入り込んでいる)は、一〇数年先には湖奥部のように底質で硫化水素の発生が起きるようになるかもしれないが、その範囲は伊左地川河口の形状及び同所付近の湖水の循環量から判断して限定的なものと推測される。

以上要するに、本件放流水の流入により、湖奥部及び白洲先での赤潮発生による被害、及び湖奥部での苦潮発生による被害が増加するおそれは多いものと一応推認される。

(4) (カキ移動初日)

庄内湾の水質の汚濁(特に窒素、リンの増加)に伴い平松、白洲先のカキの移動初日が遅くなってきたこと及びカキは身入れの都合上遅くとも一〇月二〇日までに移動を完了する必要があることは前記認定のとおりである。

そして右(3)で説示したように本件放流水の流入により平松、白洲先ではこれまでよりも容易に赤潮が発生するようになるおそれが高いことからすると、今後右両地区のカキ移動初日が一層遅くなる蓋然性は高いものと推測される。

しかしその遅れる程度をみると、白洲先の昭和五一、五二年のカキ移動初日は九月二五、二六日(両年の九月の日照日数はいずれも一五日でほぼ平均的な年)であり、同じく日照日数が平均的な年である昭和三七年、同四五年の移動初日と比較してみると、昭和三七年より七~八日、同四五年より四~五日遅れであり、水質汚濁に伴う変動幅が少ないこと(これは白洲地区の湖水の循環が比較的良いためと思われる)から白洲先においてはカキの移動初日が遅れたとしても、移動日数をも考慮したうえで、一〇月二〇日までにカキの移動を完了することができると一応推測される。

平松先においては日照日数の多い年の場合は一〇月二〇日近くにようやくカキの移動を完了し得る現状であるから、今後更に苦潮、赤潮の発生回数が増加すれば、平均的な日照日数以下の年は大丈夫としても、日照日数が多い年は一〇月二〇日までにカキの移動を完了させることが不可能となるおそれが多いものと推測される。しかし、一〇月になれば赤潮発生の条件の一つである水温が必然的に下がるので、移動初日が無制限に遅れることはない。また、移動完了が一〇月二〇日を過ぎても十分かどうかは別にして身入れは可能であるところ、栄養塩類が多くなればそれだけ植物プランクトンの増殖も多く、従ってカキは以前よりも短期間で身入れが完了するという面もあるので、移動初日の遅れによりカキ養殖が全く不可能になるわけではないと思料される。

また、雄踏先についてはカキの移動初日に関する疎明資料がないが、白洲先よりも湾口に近く湖水の循環量も多いことから、移動初日も早いものと推測される。

以上要約すれば、本件放流水の庄内湾流入により白洲、雄踏先においてはカキの移動初日が一〇月二〇日以降になるおそれは少ないが、平松先では一〇月二〇日以降になるおそれが多いと一応推測される。

(5) 以上の認定に反する債権者ら及び債務者の主張はいずれも採用できない。

七、(本件処理場建設差止請求の当否)

本件処理場は、債務者が地方公共団体として行政上の責務としての地域住民のし尿の衛生的処理を目的とするものであって公共性を有するものであるから、債権者らが債務者の市民でないとしてもなお私人の事業に起因する公害についての受忍限度よりは高度の受忍義務(債務者の市民のそれよりもある程度低く考えるべきであるとしても)を負担しているものというべく、従って債権者らが前述のような被害を蒙る蓋然性が高くても、その被害の種類・程度及び債務者の被害防止に対する姿勢等からそれが受忍限度内のものである場合には、本件処理場の建設差止めは認められないものと解するのが相当である。

そこで次に、債権者らが蒙る被害が受忍限度内か否かについて検討する。

(1)  白洲先においてはカキ養殖漁業が全く不可能となるのではなく、カキ移動初日が遅れることによりこれまで余裕を持って行なっていた移動を迅速に行うため、新たな労力及び資本の投入を余儀なくされたり、あるいは身入れの完了が遅くなり市場価値が下ってからしか出荷できなくなる被害、及び赤潮が発生しやすくなることにより移動初日の判断が狂い、その後に発生した赤潮によるカキ斃死の被害を蒙るおそれがある。

そこで案ずるに前者は金銭補償で賄い得る被害で、後者は毎年必然的に生じるものでなく、かつ、移動初日を余裕を見て設定することにより避け得る被害であること及びこれらの被害の予想される程度からすれば、これらの被害は債権者らの受忍限度内のものであるというべきである。

(2)  次に伊左地川河口付近においては汚濁の進行によりカキ養殖漁業が不可能になるおそれがないわけではないが、その範囲は養殖漁場全体と比較すればごくわずかなものと推認されるので、右被害も債権者らの受忍限度内というべきである。

(3)  ところで、湖奥部においては、カキ移動初日が遅れることにより一〇月二〇日までにカキの移動を完了できなくなることによる被害及び赤潮や苦潮が発生しやすくなることによる被害が生じるおそれがある。

後者については白洲地区と同様毎年必然的に生じるものではないが、移動初日に余裕を持たせることは即ち前者の被害を大きくさせるものであるところ、前者については前記説示のように水温の低下により無制限に移動初日が遅れるわけではなく、また移動の完了が一〇月二〇日以降になったとしてもそれ以後に身入れ作業をすることはでき、かつ栄養塩類が多くなったことに相応して身入れ期間も短かくなることが考えられるので、カキ養殖が全く不可能になるというものではない。従って湖奥部における被害は結局白洲先において蒙るのと同じ被害(但しその程度は大きい)、及び身入り不完全による商品価値の下落による被害である。

右被害は恒常的に発生するおそれがあること、湖奥部のカキ養殖漁場が債権者らのカキ養殖漁場全体に占める割合がかなり大きいことからすると、右被害は、債務者の市民でない債権者らにとっては安易に受忍限度内であると断言することは少なからず躊躇される。

しかしながら、本件処理場は我国において最高の水準のものであることは前記認定のとおりである。

また、債務者は湖東団地の下水道を整備したり、瞳ヶ丘団地の下水道終末処理場施設の三次処理化をしたり(いずれも昭和五六年夏ころに完成の予定)、吉野養豚団地の排水の三次処理化をしたり、一般家庭のし尿浄化槽の維持管理の徹底をするなどして、庄内湾に流入する汚濁負荷を減少させることを浜名漁協に対して約束出来る旨述べている。

右の約束がすべて履行されれば、花川、伊左地川の汚濁負荷量は減少し、庄内湾全域における汚濁度も当然低下する。これらの措置によっても本件放流水が新たに加わることにより全体として、庄内湾の汚濁が現状より減少するという保障はないけれども、本件放流水により生ずると予測される被害が前記措置によって軽減されることは明らかである。特に花川の汚濁負荷量が減少することにより、湖水の流通の悪い湖奥部にとってはたとえ本件放流水という新たな汚濁源が加わったとしてもそれによる不利益を十分補完することができるであろう。

前記認定の被害の種類、程度と、右のような債務者の公害予防に対する姿勢を併せ考慮すると湖奥部における右被害は結論においては債権者らにおいて受忍すべき範囲内のものというべきである。

以上(1)ないし(3)の説示を要約すれば、本件処理場の建設、稼動に伴い債権者らが蒙るおそれのある被害は、その種類、程度、債務者の被害軽減に対する姿勢等を彼此総合して考えるときは、受忍限度内のものであって、本件処理場の建設差止めは許されないというべきである。

右の説示に反する債権者らの主張は採用できない。

なお、本件放流水中の汚濁物質の内には、その濃度が浜名漁協が浜名湖沿岸の事業者と結んでいる協定基準数値を超えているものがあるけれども、本件処理場は一般の事業所とは異なる公共施設であるから建設差止めの可否は前記説示の基準によって判断すべきであり、協定値を超えていることだけから建設差止めを認めるべきではない。

従って、本件申請は被保全権利の疎明がないことに帰し、本件事案の性質上疎明にかわる保証をたてさせてこれを認容することは相当ではないので、仮処分の必要性について判断するまでもなく理由がない。

(なお、新聞報道によると、債務者は浜名漁協との話し合いの席において、改善案として放流水二日分を貯留できる放流池を新たに付属設置する用意がある旨提示したとのことであるが、右改善案が実行されれば庄内湾の汚濁負荷の増加がいくぶんなりとも低減されることは見やすい道理であるから、右話し合いの成否にかかわらず右改善案が実行されることは望ましいことであろう。)

八、よって、本件申請を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 西岡徳壽 裁判官 浦野信一郎 裁判官 林道春)

〈以下省略〉

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